ここ数年、「LGBT」という言葉をよく耳にするようになった。レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーから頭文字を取った、性的マイノリティを表す言葉だ。性的指向(好きになる性)が同性や両性である人や、身体の性と心の性が異なる「性的違和」の人を指す。
 
近年、メディア等で取りあげられることが多い性的マイノリティ。彼らに注目が集まっているのは確かだが、なぜこれほどまでに関心が寄せられるようになったのか。LGBT総合研究所の代表取締役社長である森永貴彦氏に話を聞いた。
 
森永氏によると、LGBTという言葉が取り上げられるようになったのは2‌0‌0‌7年ころだという。新聞社や雑誌社が、可処分所得が高く消費意欲の高い生活者としてLGBTを取り上げ、市場可能性に言及した。
 
その後LGBTに対する意識が高まった契機として見逃せないのは、2‌0‌1‌3年の東京オリンピック開催決定である。オリンピックの主催国や参加国が守るべき事項が記載されているオリンピック憲章には、性自認・性的指向によって人を差別してはならないという趣旨の文章が明記されている。このことから日本は、開催国になるにあたりLGBT差別の撤廃を目指さなければならないと自覚し始めた。
 
2‌0‌1‌5年には、渋谷区議会で「男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」が成立し施行された。「男女の婚姻関係とは異ならない程度の実質を備える戸籍上の性別が同一である二者間の社会生活における関係」をパートナーシップと定義し、一定の条件を満たした場合に、パートナーシップ証明書が交付されるようになったのである。
 
しかし、向上意識が生まれ一部で動きが出ているとはいえ、法的な保護制度はまだ十分に整えられていないのが現状である。国連は過去に二度、日本にLGBTの人権擁護を求める勧告を出している。日本はそれほどに「遅れている」国なのだ。
 
この状況の背景には、アジア圏でのLGBT人権擁護体制の不整備が挙げられる。西欧はLGBTに対し比較的寛容な傾向があり、同性婚を認める国さえあるほどだが、アジアにはいまだ強い偏見のある国も多く、LGBTであるだけで暴力をふるわれることもままある。宗教的な理由から同性愛禁止の国もあるため、一概に性的マイノリティを認めなければならないとは言えないが、少なくとも暴力的差別のない体制を整えていくことは必須だろう。
 
では、国単位ではなく、国民単位ではどのような意識変化があったのか。現代社会が多様なセクシャリティを意識し始めているのは事実だろう。森永氏によると、20代の若者の中には、自分のセクシャリティが分からない、あるいはまだ決めていないという人が多くいるという。
 
しかし、まだ関心が高いとは言えない。「どこか遠くにいる人の話として聞いているにすぎないという印象がある。しかし、実際のところ13人に1人が性的マイノリティに該当するというデータがあるので、すれ違っている人の中には当然居るだろうし、身近な人が当事者であることも十分にあり得る」と森永氏は話す。
 
13人に1人。LGBTは想像より遥かに身近な存在だと言えよう。したがって、ストレートの人々は彼らとの向き合い方を考えていかなければならない。ただ性的指向や自己の認識する性別が違うだけだということを理解し、受け入れていくことが当然必要である。
 
このような現状の中で注意したいのは、アウティング(LGBTであることを第三者が勝手に口外すること)をしてはならないということだ。アウティングを原因とした悲しい自殺事件は記憶に新しい。アウティングは当事者の居場所を、また時に命を奪いかねない重大な問題だという事も、念頭に置いておかなければならない。
 
LGBTが認知され変化もあった平成だが、まだ課題は多く残されている。当事者の人たちが虐げられることなく生活できるような社会が形成される日は、平成元号のうちに訪れるだろうか。
(神谷珠美)