塾生新聞は創立時から45年に渡って、新聞を発行し続けてきた。45年もの月日の間に、新聞以外のメディアが台頭し、新聞を取り巻く状況は刻々と変化してきたといえる。また、近年では若者の活字離れやインターネットの発達によって、新聞というメディアそのものが転換期を迎えている。 創刊500号というこの機会に、さまざまな立場から新聞の特徴や今後進むべき道を見つめてみたい。
(寺内壮・長屋文太・藤浦理緒・榊原里帆・成田沙季)


 

◆朝日新聞
ゼネラルマネージャー兼東京報道局長 市川速水氏

朝日 圧縮

デジタルと紙は両輪

日本語を使って考える人たちが減っていくと、日本語で勝負していたメディアが読者を増やすことは難しくなる。多メディア化によって誰でも情報を発信できる時代というのも絡み、部数は必然的に落ちていくだろう。ただ幸いなことに、私たちには700万以上の部数がある。少なくともこれだけの読者に支えられている点でどこよりも恵まれていると思っている。

しかし遠い将来、紙の新聞を発行していくかはわからない。CDが出て、MDが出て、今はそれも主流ではなくなった時代だ。カメラのフィルムのように突然なくなるものもたくさんある。紙も突然なくなる媒体かもしれない。しかし新聞は、見た目は紙の商品でも売っているのは情報だ。紙の新聞がなくなってもジャーナリズムは消えない。だから今は紙がなくなった時のための準備をしている。新聞を読まないとされる20代、30代が紙の新聞を読んでいるかではなく、私たちの発信する情報を読んでくれているかだ。

デジタルは5年前までは紙の付属品だった。しかし3年前からはライバルになり、今は両輪。社内でも情報はまずデジタルという考えがあり、私たちはデジタルファーストと呼んでいる。今では紙の新聞の編集とデジタルも明確に分けている。紙の新聞に載るのは世の中の出来事の一部だったが、デジタルでは紙に載らなかったコンテンツも載せることができる。読者が読みたいと思うものを発信するには絶好のツールだと考えている。

5月からやっている吉田調書は紙面の一面トップと同時にデジタルでも大きく始めた。ソチ五輪の時に浅田真央を取り上げたデジタルの『ラストダンス』で用いた技術を、吉田調書で応用している。昔と違って、今ではデジタルへの人とエネルギーのかけ方は先頭を走っている。それと同じく先頭を走るのは調査報道だ。それをデジタルで全く別の見せ方をする。吉田調書の展開は数年来の目的の一つを果たしたと思っている。

紙がなくなる最悪の事態でどう生き残るか。ブランドや、習慣でお金を出してくれる読者に甘えてはいけない。記者は文字通りの意味では書く人だが、発信者だ。発信力と、あらゆる場面で結果を出すサバイバル力を合わせたものが記者力だと考えている。この2つの力こそジャーナリズムが持続可能性をもって生き残り続けていくための条件だろう。多メディア化、消費増税、山はいっぱいある。それを一つ生き残ったからといって喜んではいけない。仮に朝日新聞が無くなっても記者力があるから大丈夫、と言える記者を一人でも増やしたい。そういう個々の力を持った集合体として新聞社はあるべきではないか。