暗闇に入る前に渡される視覚障碍者用の杖
『ただの自分』に戻る暗闇

「完全な暗闇」を経験したことがあるだろうか。どんなに目を凝らしても、何一つとして見ることができない。自分の身体さえ見えない。渋谷区にあるダイアログ・イン・ザ・ダークでは、そんな「暗闇の世界」を体験することができる。

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケによって考案された。日本に持ち込んだのは、ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表、金井真介氏だ。
参加者は最大8名のグループを組み、会場に作り出された暗闇の世界に入る。アテンドスタッフとして案内してくれるのは視覚障碍者だ。参加者には、白い杖が渡される。その杖で自分の一歩先をトントンと叩いて確かめ、暗闇の世界を探検してゆく。

ふだん頼っている視覚が閉ざされると、その他の感覚が研ぎ澄まされてくる。地面の感触、葉のにおい、水の音、普段は何とも思わないことまでもが新鮮に感じられる。
会場の外観


光の遮断された空間に入って、人間が最初に感じるのは恐怖感だ。なにも見えない暗闇の中では周囲の状況がわからないだけではなく、自分の存在が誰にも感知されていないという恐怖感が存在する。その中で見知らぬ者同士が社会的地位や外見にとらわれることのないありのままの自分の姿で声を掛け合い、手を取り合って中を進んでいく。そんなダイアログ・イン・ザ・ダークを金井氏は「『ただの自分』に戻れる場所」であると表現する。

人に「ただの自分」を見てもらえる機会はなかなか少ない。現実社会の肩書きなど無意味なものである暗闇の世界で、ほんの束の間だけでも、「ただの自分」として人と接することは、人生の大きな財産になるかもしれない。「ダイアログ・イン・ザ・ダークは限られた時間だけど、体験してくれた人の日常に、変化が起きることを願っている」と、金井氏は語った。(神前大輔)