
@読売巨人軍
慶大野球部が所属する東京六大学野球連盟が今年、100周年を迎えた。
慶大野球部は連盟発足以来、数え切れないほどの名場面・名勝負を繰り広げてきた。東京六大学野球連盟が創立100周年を迎えた節目に、長い歴史と深い伝統を語る上で欠かせない慶大野球部OBの高橋由伸さん(法政1998卒)に話を聞いた。
◯慶大進学のきっかけとなった六大学への憧れ
高橋さんは桐蔭学園高在学時代、当時NHKで放送されていた東京六大学野球の中継放送を視聴し、先輩たちの活躍に心を躍らせた。
「母校である桐蔭学園からは、毎年のように多くの先輩が東京六大学に進学し、野球を続けていました。特に桐蔭学園の二学年上で慶應に進学された、小野正史さんと高木大成さんが活躍されていた早慶戦の映像は今でも鮮明に覚えています。華やかな舞台での先輩の活躍を目の当たりにし、『自分もあの舞台に立ちたい』と強く思いました」と当時の想いを鮮明に語る。
こうした先輩の活躍や当時の監督の勧めもあり、高橋さんは慶大への進学を決意した。
◯肌で感じた慶應イズム
実際、慶大野球部に入部した当初、高橋さんがまず感じたのは、高校野球とは明らかに異なる雰囲気だったという。
「知っている先輩がいるという安心感があった一方で、高校の野球部はほぼ同世代で構成されていたが、大学の野球部には年齢も経験も様々な先輩がいました。23歳や24歳の先輩方がいらして、高校を卒業したばかりの自分にとっては非常に大人に見えました」と話す。
また、高橋さんが入部したのはちょうど監督が交代したばかりであり、「自分たちで考える野球」を提唱していた前田元監督の考えが色濃く残っていたそう。ここに慶應イズムを感じたと語る。
◯記憶に残る「天覧試合」と「リーグ優勝・最多本塁打記録が重なった早慶戦」
高橋さんにとって特に大学時代に印象に残っている試合は二つある。
一つは1年生だった1994年の早慶戦での天覧試合だ。「高校時代に甲子園という大舞台を経験しましたが、それとは比較にならないほど、神宮球場が揺れるような歓声と緊迫感はまさに特別でした」と話す。
もう一つは自分が4年生として迎えた1997年のリーグ優勝をかけた早慶戦だ。「田淵幸一さんが保持されていた22本というリーグタイ記録を達成した試合でもありましたが、部員全員で一丸となって4年間で唯一優勝できたという点で忘れることができないものになりました」と語った。
◯熱戦を繰り広げたライバル達との思い出
高橋さんのライバルといえば川上憲伸さんが挙げられる。彼ら二人のライバル対決は慶大の高橋と明大の川上から、巨人の高橋と中日の川上となっても繰り広げられた。「一番のライバル。彼もそう思っていると思います」と話す。
また、法大の真木選手や早大の三澤選手など、同世代の顔ぶれはそうそうたるものだったという。「特に印象に残っているのは早大の織田選手。土曜日に登板し、日曜日に4番ファーストで出場するなど、投手と野手の二刀流をこなしていました。もし現代だったらもっと注目されていたのかもしれません」と述懐する。

◯慶大野球部の伝統と未来へのエール
東京六大学野球連盟が創立100周年を迎えたことについて高橋さんは「100年という長い歴史を持つ六大学野球は、多くの先輩方が努力し、築き上げてきた伝統があったからこそ存続してきました。特別な環境で野球ができる現役選手たちには、その環境に感謝し、さらに未来につなげていく責任があります」と話す。
また次世代の選手たちに関しては「卒業後も後輩たちを支える形で、六大学野球の伝統を引き継いでほしい」と期待を寄せた。特に母校の慶大野球部に対して、「慶應の強さは、試合に出場する選手だけでなく、部員全員が『百人力』となりチームを支える団結力にあります」と語る。“Enjoy Baseball”という言葉を挙げて、「本来のこの言葉の意味を守りつつ、現場の変化に応じて対応していってほしい」と述べた。
高橋さんは「神宮という大舞台で野球ができる六大学は特別。その中でも早慶戦は歴史的にも特別。両校が順位を問わず、このカードだけは『勝とう!』と思える試合ですし、そこに関わる全ての人にとって特別なのです」と語る。
今春、慶大野球部は2季連続の5位に沈み、伝統の早慶戦でも悔しい2連敗を喫した。だが、長い伝統を持つ六大学、早慶戦の一翼を担ってきた自尊を胸に、秋の巻き返しが期待される。高橋さんが語る「特別な舞台」での新たなドラマに今後も注目したい。

高橋由伸-1975年4月3日生まれ。桐蔭学園高卒業後、慶大に進学し、慶大野球部の主力選手として活躍。1997年、ドラフト逆指名で読売ジャイアンツからドラフト1位指名を受け、同チームに入団し、1年目から即戦力としての働きを見せる。以後、主軸打者としてチームを牽引し、2004年アテネ五輪では日本代表の一員として銅メダルの獲得に貢献した。2015年シーズン限りで現役を引退し、2016年から3年間、読売ジャイアンツの監督を務めた。現在は読売ジャイアンツ球団特別顧問、読売新聞スポーツアドバイザーとして、球界に幅広く関わり続けている。
(金田悠汰)