【名作探訪】谷崎潤一郎『痴人の愛』1947年 新潮文庫

〈一人の少女を友達にして、朝夕彼女の発育のさまを眺めながら、明るく晴れやかに、云わば遊びのような気分で、一軒の家に住むと云うことは、正式の家庭を作るのとは違った、又格別の興味があるように思えました〉
28歳になる会社員・河合譲治が見初めたのは15歳の少女・ナオミだった。シチ面倒な所帯をもつことを嫌った譲治は、ナオミを自分好みの女へ成長させて妻とすることを思いつく。谷崎潤一郎『痴人の愛』である。
ハリウッドの大女優・メリー・ピグフォード似で整った容貌のナオミは、成長するにつれ妖しい艶やかさを増していく。ナオミの抗し難い魅力に呑まれ、譲治はインモラールな肉欲に惑溺する。
ハイカラを愛するナオミはある種悪魔的なまでに男たちを魅了する。学生や西洋人たちを相手に奔放に性を解放し、快楽の海に漂う。そんなナオミを見て譲治は嫉妬し、いよいよナオミの肉を渇望し、怒る。そして彼は慄くのだ。ナオミを失ってしまうことの恐ろしさに。淫らに堕ちた奇妙な彼らは、それでも夫婦であるらしい。
ナオミを引き取った時から譲治は「ナオミの成長」と題する記録を綴っている。
〈彼女の四肢が日増しに発達する様を委しく記して置いたもので、つまり少女としてのナオミがだんだん大人になるところを(中略)いろいろな表情、ありとあらゆる姿態の変化を写真に撮って貼って置いた〉
これはあまり誉められた趣味とは言えない。ナオミは当初15歳の少女だ。いかに譲治が理屈をこねようと、純粋な興味だろうと、そこに変態性が全く無いと言えば嘘になろう。
ところで、「児童ポルノ規制法」の改正案が表現の自由に関わるものとして物議を醸していたことをご存知だろうか。廃案とはなるも、問題の解決には至っていない。児童ポルノ規制の必然性はあるが、規制範囲を虚構創作物にまで拡げるとなると自由な創作行為がままならなく可能性はある。
『痴人の愛』では、次第にナオミの奔放な性癖が明らかになり、中にはポルノ的な描写も含まれる。それがいやに美しく、芳しい汗の匂いがむっと鼻を掠めるような気さえするのは谷崎の筆致にかかればこそ。流石、低俗な官能小説に堕すことを潔しとしない。だが先に挙げた「成長」記録といい、児童ポルノ要素が皆無とは言えない。となれば規制対象にも成り得る。
大袈裟だろうか。これは文学作品じゃないか、と笑うだろうか。確かに『痴人の愛』は今なお名作としての力を持ち、文学史に確固とした地位を築いている。だが戦中、(理由は違えど)谷崎の『細雪』は掲載禁止になったのではなかったか。何が良くて何が悪いかなんて、時と立場でいくらでも変わるのだ。

時代の善悪や倫理、常識や好悪に疑問を突きつけ、人々の価値観に揺さぶりをかけるものが名作ならば、そこには常に危うさも付き纏う。危うさの無い作品に魅力は無いと言い換えてもいい。『痴人の愛』のような危うい作品が長く読み継がれているのは、人々が本能的に危うさを求めている証拠なのかもしれない。
(古谷孝徳)


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