熊本県益城町へ取材をしに行くことが決まったとき、私は熊本地震をすっかりと忘れてしまっていたことに気が付いた。すでに地震発生から2年以上が経ち、ニュースで触れられることがほとんどなくなったからだろうか。もしくは次々と起こった災害に記憶を上書きされていたからかもしれない。いや、そもそも自分の暮らすところから遠く離れた地で起こった災害への関心が薄かったのであろう。

いずれにしても私も震災を忘れた大多数の一人であった。さらには「2年以上も経てば復興も着実に進んでいるだろう」と楽観的に考える無知な人であった。

道路を行き交う自動車。通常営業のスーパー。並び立つ家々。被害の大きかった益城町に着いた当初は暮らしやすそうなのどかな町という印象を受けた。だが町内を歩き回るにつれて地震の傷跡を次々と目にすることになった。

最初に目に留まったのは仮設店舗の店だ。2年以上経っても仮店舗で営業していた。全ての店が震災以前のように順調に営業を再開できているわけでないことを思い知らされた。

歩みを進めていくと町を見る目も少しずつ変わっていった。かつて家が建っていただろう空き地。隆起したままの駐車場。ゆがんだ道。町の至る所に震災の爪跡が今もなお残されていた。徐々にこの地が激震に襲われたことを実感してきた。

2年以上経った今でも震災の爪跡を色濃く残す場所がある。町内の木山神宮だ。ここは震災で本殿、拝殿、鳥居など境内施設が全て全壊した。今でも鳥居や拝殿、本殿は再建されておらず、境内にも破壊されたまま残されているものが多くあった。再建計画は資金難が続いており、難航している。人々の精神的な支柱は未だ失われたままである。

町を歩き回って目立っていたのは地震の爪跡だけではない。復旧工事を知らせる看板だ。歩く先々で道や橋、下水道などの復旧工事が行われていた。

工事が着々と進められているのは復旧が進んでいる証であり、前向きに捉えるべきことである。だがここまでの光景を見てきた私は素直に前向きに捉えられなかった。2年以上が経過しても至るところで復旧工事が続いているという後ろ向きの見方もできるからである。看板一つを取ってみても複雑な心情を抱かずにはいられないほど私の目や心は変化していた。同時に時間が経過したから復興しているはずという思い込みの残酷さをひどく感じるのだった。

日本は災害が多い国である。今年も大阪や北海道での地震や中国地方での豪雨被害があった。誰もが一時は被災地や被災者を気に掛けるが、時間が経つにつれて忘れてしまう。また、自然と復旧・復興しているだろうと思い込んでしまう。私自身も熊本を訪れる前はそうであった。
しかし、現実は異なる。私たちが考えるほど復興は簡単なことではなく、今なおも日常を取り戻すための戦いを続けている人たちがいる。そのことを知っておくべきである。

度重なって災害が起こっている今こそ、思い込みを正して真実に向き合う。そして「復興」という言葉の重みを今一度考えなければならないと被災地を訪れて強く感じた。
(藤咲智也)