くらしはデザインで溢れています。しかし、そのほとんどが一般的に「デザイン」としては認識されていません。生活の「当たり前」には、それぞれ意味があります。通年連載を通して、デザインの奥深さをのぞいてみましょう。

ファストフード店「マクドナルド」で暇をつぶしている時のことを想像してほしい。ふと、あなたは席を立つ。周りの客も次々に席を立つ。何を隠そう「帰りたいな」と思ったから帰るのである。

実はマクドナルドの椅子は、固い。座りづらいのである。これは、客に「帰りたい」と思わせて、店の回転率を良くするためだと言われている。

しかし、客の多くは店の戦略を意識して席を立つわけではないだろう。自分の意思で席を立っていると思っていても、実は「椅子」という環境に、行動がコントロールされているかもしれない。こうした自身を取り巻く環境のアーキテクチャが人々の行動を支配することを、「環境管理型権力」という。




 

「環境管理型権力」はインターネットと密接な関係を持つ。株式会社rakumoに勤める、社会学者・濱野智史さん。インターネットが生活の中心である社会において、人々がどう行動するか、アンテナを張っている人物だ。

彼は1‌9‌9‌9年に、慶大環境情報学部に入学した。その頃の日本では、インターネットが普及し、巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」が流行り始めた。大衆が、自分の意見を思うままに書き殴る。インターネットは、どこか猥雑で、近寄りがたいイメージを持たれていた。

しかしウェブログ(ブログ)の登場をはじめとして、状況は変わった。インターネットは、誰でも快適に自分の好きなことを表現できる、自由な空間と認められるようになった。今やSNSは私たちの日常生活になくてはならない存在である。

好きなことを好きなようにできる、と思うかもしれない。しかし、このようなネットサービスは、人間が人間のために作っている人工的な「デザイン」であり、いわばインフラのようなものである、と濱野さんは言う。ネット上で、Google、Amazon、Facebook、Appleなどがそれに当たる。

インターネット空間が整備されるにつれ、誰もが快適にそれを利用できるようになった。だがその裏返しに、私たちはアーキテクチャにコントロールされているともいえる。私たちは、彼らの生み出したデザインの世界に安住しているのだ。

例えば、インターネットのウェブサイトや、動画サイトを見ているときに出てくる広告を想像してほしい。私たちの興味関心に基づいていることがわかる。SNSで、タイムラインに表示されるユーザーを思い浮かべてほしい。時系列ではなく、私たちが普段どのくらい「いいね」を押しているかをリサーチした結果の順番なのだ。つまり、ウェブ上では、見えない仕掛け人によって、私たちの行動が監視され、行動そのものの支配すらされている。




社会学者のマックス・ウェーバーによれば、権力とは「嫌だと思っていることを相手にさせる力」であった。しかし、哲学者ミシェル・フーコーにとっての権力は、「主体に働きかける力」である。つまり、気づかないのである。嫌だと思わずに、あくまで自然に作用するのだ。

私たちが「買いたい」と思ったものが、実は、ある巨大な力によって、「買いたい」と「思わされている」のだとしたら――。マクドナルドの椅子から立つのがほんの無意識のうちの何気ない行動だったとしても、裏でその行動をするよう差し向ける力が働く。さあ、目に見えない無意識のデザインに、目を向けてみよう。

 

(下村文乃)