劇場で、戦争を伝える 浅利慶太氏

71年前に終結したあの戦争を、私たちはどこまで実感をもって捉えることができるだろうか。

今、ほとんどの人が「戦争を知らない世代」になろうとしている中、その時代にミュージカルという形で迫ろうとしている人がいる。劇団四季を立ち上げた、浅利慶太氏だ。

劇団を離れた現在も小規模の公演を続ける浅利氏が制作・演出にあたっているのは、日本と中国の間で激動の時代を生きたある女性の人生を描く『ミュージカル李香蘭』。9月3日~11日、東京・自由劇場で上演される。

日本人の両親を持つこの女性、山口淑子は中国で育つ。女優・李香蘭として日本の国策映画に出演し両国で人気を博すが、やがて戦争の波に飲まれていく。中国やシンガポールでも公演が行われたこの作品は、25年前から繰り返し上演されてきた。

御年83歳、浅利氏も戦争体験者だ。本土爆撃が始まったのは小学生の頃。永田町に住んでいたが、落合、そして軽井沢の別荘へと疎開を余儀なくされた。3km以上の道を歩いて学校に通い、庭では野菜を作ったという。中学1年生の時に終戦を迎え再び上野駅に降り立った。遠くまでずっと見渡せる一面の焼け野原。戻ってきた東京で見たその光景を忘れることはない。

戦時下に生きた記憶を持つ浅利氏は、稽古場の俳優たちに、時代を覆う空気や体験を語って聞かせ、実感を持たせる。劇中では李香蘭の人生と並行して、日本が戦争へと向かう道筋を詳細な年号とともに追っている。「歴史の事実を積み上げなきゃ」と浅利氏は語る。

雰囲気で演じるのではなく、台本の言葉を正確に観客に届けることを大事にする。そのため若手からベテランの俳優にまで、母音を一音一音分離し明瞭に発音する「母音法」を徹底的に叩き込む。

脚本はほぼ全て自ら手掛けたものだが、唯一浅利氏の言葉でない部分がある。それは、出撃を前にした特攻隊の若者たちが最後に言葉を残す場面だ。戦争に散った学生たちの遺稿集『きけわだつみのこえ』に収められた言葉である。この中には、慶大の学生であった上原良司が書き残したものもある。絶命を覚悟した若者たちの言葉を、軍服に身を固めた俳優たちが一人、また一人と語りだす。同じ学生として、はるか先へ広がっていたはずの彼らの前途を思わずにはいられない。

時に、目を背けたくなる場面もあるかもしれない。「これからの日本を担う人たちに、戦争がどれほど深い心の傷をもたらすかをわかってもらいたい」。平和を当たり前だと思ってはいけない。浅利氏は戦争の悲劇を今に伝えようとしている。

「中国と日本、日本と中国、2つの国を愛してほしい、黒い髪、黒い瞳」。このミュージカルのテーマソングの一節だ。この作品の最大のテーマは日中の友好である。李香蘭は苦境の中でも日本と中国が手を携えて進むことを願い続けた。「教えて、心にも国境はあるのですか」と訴える彼女の歌声は、日中の溝を否定し得ない現代に生きる私たちの心を、大きく揺さぶる。

「今は若い人に歴史観を持たせる教育の機会がない」と語る浅利氏は、若者たちが教科書の文章で読んできた昭和史をこのミュージカルの歌やダンスの迫力で実感できると考える。「問題点やリアリティーをちゃんと表現しなくては」と思いを口にする。

当時を知らない人たちが、客席にも、その視線の先の舞台上にもたくさんいる。「戦争を経験した者として、あの戦争を語り継ぐ責任が僕にはある」。『ミュージカル李香蘭』を通し、稽古場で、そして劇場で、昭和の悲しい時代の事実をリアルに届け、今に語り継ぐ。

「李香蘭さんの人生は日本の歴史そのもの」。過去に日本や中国で何があったのか。それを肌で感じられる場が、劇場にある。
(青木理佳)