【震災特集2016】留学生が見た3.11

震災を目の当たりにした留学生は何を感じたのか。モンゴル人留学生サインブヤン・オドバヤルさんは福島大学に入学する直前に震災にあった。同大大学院に進学したオドバヤルさんは現在、福島に住んで5年目となる。彼はあの震災をどう捉えて今まで生きてきたのか。
(小林良輔)

2011年3月11日、オドバヤルさんは留学生候補の仲間たちと仙台にいた。出身高校から日本に留学する生徒を決める学内の最終選考合宿が行われていた。その途中、あの地震が起こった。内陸部にいたため津波による直接的な被害は免れたが、原発事故の影響は不明確な部分が大きかった。




モンゴルはチェルノブイリ原発事故を経験した旧ソ連の国家であり、放射能に関する知識は国民の間に広く知れ渡っている。ある程度学問を修めた人ならば、どのレベルの放射線量が危険なのかを判断できる。さらに、モンゴルのメディアは福島第一原子力発電所事故に関して、過剰に恐怖をあおるような報道をした印象はなかったという。

それでも母や親族からは福島大学への留学を見直すように説得された。「1年間モンゴルで様子を見て、東京などの大学に行きなさい」。オドバヤルさん自身は放射能に対する恐怖はなかったものの、両親は離婚していたため自分が亡くなったら母は路頭に迷うのではないか、との思いが一瞬頭をよぎった。しかし、福島で学ぶことへの意欲はそれで失われるほど低いものではなかった。長い年月をかけて育まれたものだった。

日本で生活したことのある母の影響で幼いころから日本文化に親しみ、日本への憧れは強かった。高校も日本の高校のシステムを取り入れ、日本に留学しやすいところを選んだ。日本で経営学を専攻するために3年間、必死に勉強した。モンゴルと日本における高校までの教育制度の違いや資金などの制限の下で、福島大学への進学は最善の選択だった。海外の学生が日本の大学を受験する際、小学校から高校まで12年間の教育を受けなければその資格を得られない大学が多いが、モンゴルでは合計11年間しかない。また、私立大学や関西より西の大学は学費や移動費などが高額になる。

留学へのこうした強い動機に加えて、日本で知り合った人々への感謝の気持ちもあり、福島に残って勉強することを決意した。「人生には様々な障害がある。逃げ道を一度でも選択すると、すべての問題に対して逃げ腰になってしまう。留学の費用をだしてくれるスポンサーや生活を支えてくれていた東北の人々のためにも、逃げてモンゴルに帰ることはしたくなかった」

学部に入学してから5年が経ち、修士課程もあと1年で修了する。3.11を「警告」と捉えて生きてきた。「人生は短く、いつ転機が訪れるかわからない。夢をかなえるためには、一日一日を大切に、そして全力で生きていかなければならない」。この事実に気づかせてくれた。


「礼儀正しく、穏やかな日本人と、活発に活動する留学生が交流すれば、互いにとって良い刺激となる」。このような留学生の一員として、オドバヤルさんは世界で活躍する経営者という夢に向かって歩いている。