今年の7月1日に「うるう秒」が発生する。当日、我々人間はデリケートな戦いを強いられることになるのだが、「うるう秒」とは一体何者なのだろうか。

世界時の1日は、地球の自転一回分にあたり、その24分の1を1時間とする。対する「原子時」は、原子の振動を利用して時間を測定する原子時計に基づき、1958年以降採用された時間単位だ。しかし相手は自然である。原子時計から見ると、惑星の動きは少々気まぐれなようだ。

地球の自転速度は一定ではない。わずかだが不規則な変化が生じている。そこで、自転速度に依存する世界時と、より正確な原子時の差が0・9秒以内に収まるよう数年に一度適宜挿入あるいは削除する必要がある。これがうるう秒である。

この制度は、1972年に開始された。26回目となる今回は、秒数を一単位増やす作業を行う。日本では7月1日の午前9時に実行される予定だ。通常「8時59分59秒」の次は「9時0分0秒」だが、その間に「8時59分60秒」を挿入する。

しかし、所詮1秒の話である。放っておいてもいいのではないか思うかもしれないが、それは非常に危険だ。理由は、現代社会が高度に経済発展してきたことにある。

前回実施の2012年には、インターネットシステムのいくつかに動作異常があった。オーストラリアの航空会社では機器トラブルが起こったという報告もある。要はコンピューターに関連する各方面でトラブルが発生したのだ。

交通や通信、証券取引はもちろん、国防でさえシステムが頼りである。分からないことがあれば考えるより先にスマホを取り出す人も多い。コンピューターが今日の生活に不可欠であることは否定できない。

そして、精密機械は例外を許さない。数百万分の一秒単位で作動しているコンピューターにとって、突然1秒をねじ込まれるのは満腹の人間にカツ丼をねじ込むようなことかもしれない。つまり、たった1秒を増やす単純な作業でも、コンピューターが対応しきれるか分からないというわけだ。

今年の「うるう秒」の挿入に向けて、様々な対策が練られている。例えば、千分の一秒単位で注文が飛び交うという東京証券取引所では1秒を2時間に分散させて調整する予定だ。

それにしても、わずか1秒に全力で対応しなければならないとは驚きだ。ふと、人間はそれほど誤差の許されない世界に生きているのだろうかと不安を覚える。

「愚者の時間は時計で測定できるが、賢者の時間は時計では測定できない」という格言がある。これを機に、自分が持つ「1秒」の意味を考えてみてはどうだろう。
(玉谷大知)