石巻駅で下車し、信号を渡って商店街を通りながら歩くこと10分と少し。昼間でありながら、街には人気がなく、すれ違った人の数は片手で足りるほどだ。自宅でコピーしてきた案内図だけをたよりにたどり着いた先は、「絆の駅 石巻ニューゼ」。2月のある日、ここでは「石巻日日こども新聞」の執筆活動が行われていた。


新聞という伝え方

「石巻日日こども新聞」は、文字通り石巻の子供たちによってつくられている新聞だ。これまでに記事を書いた「こども記者」の数は60人を超え、発行部数は5万部を誇る。新聞は、発行などの後援をしている石巻日日新聞に折り込まれるほか、石巻市の幼稚園から中学校までのすべての子供達に届けられ、地域に浸透している。

こども新聞

初版が発行されたのは、東日本大震災から丸1年が経った2012年の3月11日。それ以降、3、6、9、12月の11日に、年4回発行している。初版でこの新聞で伝えたいこと、としてあげたテーマは二つ。「石巻のいま」と「今の私たちの気持ち」。当時、最初の記者として集まった子供たち自身が決めた。

「避難所にマジシャンの方が来てくださったときに、被害の大きいところに住んでいた子供とそうでない子とでは、反応が明らかに違ったんですね。思いっきり笑ったり驚いたりする子供がいる一方で、そういった感情をあまり表に出さない子たちがいて。そういう子は復興に向けて大人が忙しく働くなかで、わがままを言えないし、萎縮していた。感じたことを溜め込むようになっている、と思ったんです」。

創始者である太田倫子さんは、石巻出身の女性だ。震災当時こそ仙台にいたものの、故郷が大変なことになっていると聞き、役に立ちたいとボランティアに訪れた。その際、子供の心のケアの必要性を感じたのだという。

気持ちを閉ざした子供たちが自由に表現し、外へ発表できる場をつくろう。そう考えたときに思いついたのは、新聞だった。記事を書くことで表現でき、配ることで人に伝える媒体にもなる。新聞は、「伝える」方法として、自分が知っている最も古くてわかりやすい方法だった。とはいえ新聞に関する知識はなく、思いつくままに石巻日日新聞社に直接相談を持ちかけた。その結果、同社からの協力が得られ、「石巻日日こども新聞」が誕生した。


「こども記者」の活動を通して

「取材の前には質問をつくって、整理してから行きます」。こども記者たちは、取材の準備から記事の執筆までを担当する。記事を書く際に難しいことを尋ねると「記事を書くのと、作文を書くのとは違う。読む相手にわかりやすく、正しいことを書くことに気をつけなくてはいけないところが、難しい」との答え。小学5年生にして、読者を意識した新聞記者としての自覚があることには、正直驚かされた。子供たちは記者の仕事を通じて、学校の授業だけでは学べないものを得ているようだ。

こども新聞
子供たちの活動は新聞制作にとどまらない。一番面白かった活動は何かと聞いたとき、答えとして多かったのは「夏にやった合宿」。こども新聞はワークショップの役割も果たしており、合宿やグーグル本社の見学といったイベントがしばしば開催される。日頃の活動としても、YouTubeチャンネルでのラジオ番組の制作があり、台本から出演まで子供たちが担当する。


これからのこども新聞と石巻

2015年2月11日、こども新聞初の号外が出た。一面の写真には、世界のサッカー選手たち。先方から招待を受け、マンチェスター・ユナイテッドまで取材に行ってきたのだという。こども新聞の活動範囲は、遂に海外にまで及ぶようになった。今、こども新聞はウェブページ限定で英訳版を読むことができる。海外からも「震災の状況がわかる媒体が少ないので助かる」「子供がこんな活動をしているなんて驚いた」など、数々の反響があるという。新聞の名は各方面に広がり、独自の魅力を持つ媒体になっているのだ。
 
「直接、子供たちに震災の時、どこにいたの、何をしていたのと、聞いたことはありません。記事の内容も、自分たちの体験を語るものではなく、ほかの被災者や被災地を訪れて、それを客観的に書いたもの。取材の場所は、子供の行きたいところを聞いて決めています。その中で、自ら自分のことを語りだしたら、その時はそのまま載せようという姿勢でいます」。最近は記事の中で身内の死を語ったり、現場に行きたがったりというケースもでてきたという。子供たちの心の回復は、月日をかけて確かに進んでいる。

震災から4年が経つ。人々の心は少し落ち着いてきたといっても、石巻の街はまだまだ静かだ。街に人を呼び戻し、故郷での暮らしを取り戻すには、その街に人を惹きつけるだけの力が必要になる。実際、ワークショップや取材など豊富な経験ができるという点に魅力を感じ、ここまで遠くから車で来ている子供も多い。「こども新聞」から見いだせる可能性はまだまだ大きそうだ。一枚の号外を手に、人であふれる石巻を想像した。(上山理紗子)