平日の朝。

 朝の通勤ラッシュに辟易しながら駅のホームを足早に歩く。二段飛ばしで階段を昇り、鞄の中からIC定期券を取り出す。改札機の列に並び、人の流れに乗りながら定期券をカードリーダにかざした。

 ピッピッピッと、それまでリズム良く聞えていた電子音は途切れ、フラップドアが私の前で勢い良く閉じた。

   *  *  *

 歪は決して気付かれることのない形で日常生活を侵食していく。歪を歪と認識した時には既に手遅れだ。

 庄野潤三『プールサイド小景』は、そうしたささやかな歪が、1つの家族に致命的亀裂を生じさせる様を描いた小説である。
 青木弘男氏は織物会社で課長代理を務めている。結婚して15年になる妻、小学校4年生と5年生の息子との4人家族。一見、彼らの家庭は円満だ。

 ところが突然、青木氏は会社をクビになる。会社の金をバー通いで使い込んだことが発覚し、即日解雇となったのだった。
 妻は夫に尋ねる。愚かにも、彼が金を使い込んだというバーにまつわる話を。

 夫はぽつぽつと答える。寂れたバーと、不思議な女の話をする。

 別の日、今度は夫から話し始める。18年間、自分がどんな気持ちで働いてきたのか。早朝、誰もいないオフィスに佇む時に感じる漠然とした不安。それに対する怯えをいつもどこかに抱えていたのだ。

 劇的なことは何一つ起こらない。小説は静かに進行する。微かな風に小波立つプールの水面のように、ちらちらと光を反し、縁を舐め、手をつければ気の抜けた冷たさが指先に残る。その冷たさが、時として恐ろしく不気味に思えるのは何故だろうか。

 夫の話を聞いた妻は愕然とする。15年ものあいだ共に暮らしてきたはずなのに、夫の話はどれも初耳、想像すらしなかったことだった。自分たち夫婦の関係とは結局のところ何だったのか。今迄に何を話してきたのだろう。夫にとって妻とは、妻にとって夫とは何を意味したのだろう。

 明瞭な答を得られぬまま、小説は終わる。読者を一気に突き放すような余韻を残して。

 この作品は昭和29年、『群像』に発表され、翌年には芥川賞を受賞した。

 遠目からカメラで撮影しているような、一つ一つの場面を丁寧に描写していく庄野の作風。構図を決め、色合を見、光量を調節し、微細な感覚も逃さない。それは動的な映像でありながら、静物画のようでもある。

 庄野が代表作「静物」を書くのはこれより6年後の話である。     

 初出 1954年『群像』12月号

(古谷孝徳)