慶應塾生新聞会 三田オフィス
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前環境事務次官 小林 光氏 日常からヒントを見つけて

1949年、東京生まれ。慶大経済学部卒業後、1973年に環境庁(当時)に入庁。地球環境部環境保全対策課長として、気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)の日本への誘致、京都議定書の交渉、地球温暖化対策推進法の国会提出を担当した。大臣官房長、総合環境政策局長などを経て2009年に環境事務次官に就任。2011年に退官し、現在慶大政策メディア・研究科教授。東日本大震災後はSFCの「節電本部長」も務めた。主な著書に『エコハウス私論』(木楽舎、2008)。
1949年、東京生まれ。慶大経済学部卒業後、1973年に環境庁(当時)に入庁。地球環境部環境保全対策課長として、気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)の日本への誘致、京都議定書の交渉、地球温暖化対策推進法の国会提出を担当した。大臣官房長、総合環境政策局長などを経て2009年に環境事務次官に就任。2011年に退官し、現在慶大政策メディア・研究科教授。東日本大震災後はSFCの「節電本部長」も務めた。主な著書に『エコハウス私論』(木楽舎、2008)。
「特に役人になりたいとは思っていなかったですね。ただ環境にかかわる仕事がしたかった」。そう振り返るのは小林光氏。今年1月まで環境省の事務次官を務めた。
自ら率先して環境対策の最前線に立ってきた。2000年には両親との同居を機に、自宅を太陽熱による床暖房・給湯や壁面緑化、太陽光・風力発電などさまざまな環境設備を取り入れた「エコハウス」に建て替え。トラブルに見舞われながらも工夫を重ね、建て替え前と比較して二酸化炭素の排出量を年間で約6割削減することができた。
熊本・鹿児島や新潟の水俣病の問題については、事務次官として数十回も被害地域に足を運び住民の声に耳を傾けた。世間一般の官僚イメージとは異なる行動派。しかし本人は「私に限らず、そもそも環境省という組織全体がそういうチャレンジングなところですから」といたって控えめだ。
小林氏は慶大経済学部の出身。「私が学生の頃は環境ビジネスという存在もなかったし、環境問題に熱心というとオタクっぽい感じがありましたね」と笑う。世間では公害問題が注目を集めていたが、大学で「環境」を開発の対象ではなく学問として教える教員も限られていたという。
数少ない例外がゼミの指導教官であり、計量地理学を専門としていた高橋潤二郎教授。経済学部のゼミではあったが、生態学者として有名な今西錦司氏の著作などを読み込んだ。
大学卒業後、進路として迷わず環境庁を選んだ。「当時は環境庁ぐらいしか環境問題にかかわっていてお給料をくれるところがなかったんですよ。環境庁に落ちていれば……どうしていたでしょうね。大学に残っていたかもしれません」
アウトドア派で幼い頃から豊かな自然の中で遊んできたという小林氏。環境に対する強いこだわりは、そうした経験に由来する。今でも周囲では大の「蝶好き」として有名だ。「東京の自然もかなり回復してきました。私の家の窓から確認しただけでも28種類はいますよ」と楽しげに語る。「ただ温暖化で、昔はいなかった南からの種が増えました」
地球温暖化問題には、環境庁内においても最も早い時期から取り組んできた。80年代前半に温暖化に関する論文を共同で執筆。90年代半ばからは京都議定書の交渉の担当課長として奔走した。福島第一原発の事故を受けて「温暖化対策としての原子力推進という選択肢はなくなった」と認識を改めたが、それでも二酸化炭素排出削減に向けて人々が一層の努力をすべきという考えに変わりはない。
自然エネルギーの開発や、環境ビジネス全般の先行きについては楽観的だ。この数十年で「環境対策と経済活動の両立」の道筋はできたと総括している。しかし一方で、政治と環境をめぐる現状についてはチクリとこんな一言も。「良心的で環境問題に熱心な政治家ほど選挙で苦戦します。環境を守りたいという人がちゃんと投票に行けば、もっと世の中も違ってくると思うのですが」
現在はSFCで環境政策論などを教える小林氏。学生にとって大切なのは単なる知識だけでなく「日頃の心構え」だと説く。「人生において重要な出会いやヒントを何気ない日常から見つけ出せるかは、自分の問題意識や態度次第。とにかく好奇心を大切にしてください」
(花田亮輔)