過去に慶應で起こったビッグニュースの今を伝えるこの企画。最終回の今回は特別編として、かつて話題を呼んだ研究と、それに携わった教授を3例取り上げる。「ハトにモネとピカソを区別」させた渡辺教授、「高速回転する卵がジャンプすること」を発見した下村教授、「光学迷彩」を実現した稲見教授。彼らはなぜその研究を行い、何を見出したのか。そして、それらの研究は現在の研究にどのような影響を与えているのか。教授たちの今を探った。                (大竹純平)

1999年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)、東京大学助手,科学技術振興機構さきがけ研究者、MITコンピュータ科学・人工知能研究所客員科学者、電気通信大学教授などを経て、2008年4月より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。拡張現実感システム、触覚インタフェースなど、五感に関わる新規ユーザインタフェースを多数開発。科学技術振興機構ERATOグループリーダー、日本バーチャルリアリティ学会理事、情報処理学会エンタテイメントコンピューティング研究会主査、コンピュータエンターテインメント協会理事等を務める。IEEE Virtual Reality Best Paper Award、米「TIME」誌CoolestInventions、文化庁メディア芸術祭優秀賞、情報処理学会論文賞など各賞受賞。
1999年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)、東京大学助手,科学技術振興機構さきがけ研究者、MITコンピュータ科学・人工知能研究所客員科学者、電気通信大学教授などを経て、2008年4月より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。拡張現実感システム、触覚インタフェースなど、五感に関わる新規ユーザインタフェースを多数開発。科学技術振興機構ERATOグループリーダー、日本バーチャルリアリティ学会理事、情報処理学会エンタテイメントコンピューティング研究会主査、コンピュータエンターテインメント協会理事等を務める。IEEE Virtual Reality Best Paper Award、米「TIME」誌CoolestInventions、文化庁メディア芸術祭優秀賞、情報処理学会論文賞など各賞受賞。

稲見昌彦教授「『光学迷彩』を科学技術で実現」(1998年)

「みんなを魔法使いに」

1998年、「光学迷彩」が実現した。光学迷彩とはSF作品に登場する技術で、何らかの方法で物体を見えなくする、というもの。この技術を限定的にだが実現したのが慶應メディアデザイン研究科の稲見昌彦教授だ。
 光学迷彩のカラクリは、再帰性投影技術という最新技術。光を入射角と同じ角度に反射す特殊な素材を用い、その部分に背景を投影する。すると、画面を通して見ることで透けて見える。
 再帰性投影技術は、立体映像を出す研究の中で開発されたもの。その応用で開発されたのが、頭に小型のプロジェクターを付けることで動き回っても立体映像が見える「頭部搭載型プロジェクター」だ。それを国際会議で展示することになったが、一人一人体験させるとかなり時間がかかるため、行列が予想された。
 そこで、待っている間に体験できる同じ技術を使った面白いデモとして考えたのが「光学迷彩」だ。背景の立体映像を立体的に投影すれば透明に見えるのと同じではないかと考え実践したところ、成功。漫画『攻殻機動隊』の影響もあり、すぐにマントを作成した。
 この技術を応用することで、車の内部から外を透視したり、手術中に医者が体内を見たりすることが可能になるという。
 この研究は大きく取り上げられ、数々のメディアにも取材された。稲見教授は「この大きな反響から学んだことは、研究者はみんなが『そういえばこういう物が欲しかった』と思う物を作っていくのが大切なのだということ。特に工学系の研究はそれが大切だと思います」と語った。
 稲見教授がこれからやっていきたいのは、「技術を透明にすること。技術を洗練させて、みんなを魔法使いにすること」だという。「できないことを出来るようにしていくだけではなく、難しい技術を簡単に使えるようにすれば、世の中が楽しくなる。その面でバーチャルリアリティやヒューマンインターフェイスという研究分野は貢献できると思う」
 また、「『リアル』ではなく『リアリティ』に基づいた設計をしていきたい。光と音は物理的には光の方が早いが、人間は音の方が早く感じる。このように、物理法則ではなく人間の感覚に基づいた設計を考えています」と語った。
 稲見教授は光学迷彩以外にも多くの研究、開発をしており、3─4個の研究を並行して進めているという。教授の力で私たちが「魔法使い」になれる日もそう遠くはないのかもしれない。

慶應義塾大学法学部教授。理学博士。1989年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。東京大学理学部助手、 慶應義塾大学法学部専任講師、 同助教授を経て、2000年より現職。主な研究分野は力学。2006年より 慶應義塾志木高等学校校長を兼務。代表的な著書として 『ケンブリッジの卵―― 回る卵はなぜ立ち上がりジャンプするのか』 (慶應義塾大学出版会, 2007年)がある。
慶應義塾大学法学部教授。理学博士。1989年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。東京大学理学部助手、 慶應義塾大学法学部専任講師、 同助教授を経て、2000年より現職。主な研究分野は力学。2006年より 慶應義塾志木高等学校校長を兼務。代表的な著書として 『ケンブリッジの卵―― 回る卵はなぜ立ち上がりジャンプするのか』 (慶應義塾大学出版会, 2007年)がある。

下村裕教授「ゆで卵を高速回転させると
ジャンプすることを証明」(2006年)

身近な謎を探究する面白さ

ゆで卵を回転させると起き上がるのはなぜか。長年の謎であったこの現象を解明し、さらに「ゆで卵を高速回転させると、何度もジャンプしながら起き上がる」ことを発見した教授がいる。それが法学部の下村裕教授だ。
 教授がこの研究を始めたきっかけは、留学先のケンブリッジ大学で聞いたキース・モファット博士の講演会。そこでモファット博士があることを語った。「ゆで卵を回すと立ち上がることの理論は簡単。だが、生卵も立ち上がるかはオープン・クエッション(未解決の問題)だ」。イギリスで研究していた「燃焼乱流のモデル化」に行き詰まっていた下村教授は、このオープン・クエッションを解こうと決めた。
 まずゆで卵の理論から計算し始めた下村教授。しかし、計算上ではなぜか卵が立ち上がらない。それをモファット博士に伝えたところ、モファット博士も興味を持ち共同研究が始まった。
 1年間の研究の末、ゆで卵起立の謎は解明された。その研究の中で、「ゆで卵は高速回転させることでジャンプする」可能性があることを発見。それを証明するため、帰国後に慶大の三井隆久助教授らと協力し、世界にただ1つしかない「卵の高速回転装置」を作成。回転する卵のジャンプは見事に観測され、教授の予想は証明された。
 教授の研究はイースターの時期と重なったこともあり、『Nature』で紹介されるや否や世界中で話題となった。
 この研究以降も、下村教授は慶大で物理学を教えながら学生と共にさまざまな研究を行っている。題材は「子どものアメンボはどうやって水面を進むのか」、「コインを回すと倒れるにつれて音が高くなるのはなぜか」など、身近なものが多い。「卵の研究を始めてから、身近なところにまだまだ分からないことがあることに気づいた。『物質の究極とは何か』というのも大きな謎だが、身近に謎があるのが面白い。今私が関心をもっているのは、身近な謎の解明です」
 長年物理学を研究してきた下村教授。「世の中には実はよく分かっていないことが多い。分からないことに出会った–ときに分かったふりをするのではなく、正直に分からないということを認識して、そこから考えることが大事。そして何か分かったときに、知らない人に分かりやすく伝えることが大切」と語る。
「人と力を合わせることも大切。私もモファット先生と力を合わせたことで研究が進んだ。色んな人と交流して物事の理解を深めてほしい」

渡辺茂(わたなべ・しげる)。慶應義塾大学文学部人文社会学科心理学専攻教授。1948年東京生まれ。1972年慶應義塾大学修士課程社会学研究科心理学専攻修了。主な研究分野は生物心理学。代表的な著書として『ハトがわかればヒトがみえる』(共立出版)『ヒト型脳とハト型脳』(文藝春秋)『認知の起源をさぐる』(岩波書店)など。
渡辺茂(わたなべ・しげる)。慶應義塾大学文学部人文社会学科心理学専攻教授。1948年東京生まれ。1972年慶應義塾大学修士課程社会学研究科心理学専攻修了。主な研究分野は生物心理学。代表的な著書として『ハトがわかればヒトがみえる』(共立出版)『ヒト型脳とハト型脳』(文藝春秋)『認知の起源をさぐる』(岩波書店)など。

渡辺茂教授 「ハトにモネとピカソを
区別させることに成功」(1995年)

「心」は人間固有のものではない

イグノーベル賞。人々に考えさせ、そして笑わせてくれた研究に与えられる賞だ。慶大にはこの賞を受賞した教授がいる。文学部心理学専攻の渡辺茂教授だ。
 イグノーベル賞を受賞した研究は「ハトを訓練し、ピカソの絵とモネの絵を区別させることに成功した」というもの。この実験は、ハーバード大学での「ハトに人が写っている写真と写っていない写真を区別させる」実験がヒントとなった。
 実験を行う際に刺激を一つに絞ることが常識だった当時、ハトに与える刺激を一つに特定させていないこの実験は非常に画期的だった。この実験を絵でやってみようと思い立ち、「ピカソとモネの区別」という実験が始まった。
 なぜハトは絵を区別できるのか。それは、ハトが多型概念というものを持っているからである。多型概念とは、多くの手がかりから一つの概念を作る能力のこと。ピカソとモネの絵を白黒にしたり、輪郭線をぼかしたりしてハトに見せても区別できたことから、ハトが多型概念を持っていることがわかった。
 渡辺教授はこの研究の後もさまざまな実験をし、多くのことを発見。文鳥にも絵の好き嫌いがあり、しかも現代絵画好きな文鳥が多いこと、鳴禽は音楽を区別でき、古典音楽の方が好きなこと、ハトはゴッホとシャガールも見分けられること、絵の上手下手が分かることなど、動物の心理に関する多くのことが分かってきた。
 動物の心理を学ぶことの面白さを教授はこう語る。「動物と比較することで初めて『人間はこうなんだ』ということが分かる。あるいは、人間固有のものだと思われながらも実は動物にもあることが分かる。いろんな動物の中での人間の地位を相対化することができ、広く見ることができるのが魅力」
 現在教授が研究しているテーマは、「動物にも共感があるのか」と「人間と動物の不合理な行動の比較」の2つ。将来的に研究したいことは「動物の宗教」だという。「いったいどうして宗教という不思議なものを人間が考えついたのか。人間と動物との比較の立場から考えていきたい」
 渡辺教授が動物の心理を長年研究し、感じたこと。それは「心と呼ばれるものは必ずしも人間固有のものではない」ということだ。
 「全然違う進化の過程を遂げた動物も、人間の心に似たようなものを持っている。だから、人間は謙虚になる必要がある。人と動物は全然違う、ということはなく、人と動物は仲間なんだという考え方が大切です」と語ってくれた。