慶應義塾大学工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社。平成5年、同社代表取締役社長就任。11年、IBMアジアパシフィックプレジデント兼代表取締役会長就任。15年から19年には経済同友会代表幹事を歴任。現在、日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問。慶應義塾評議員も務めている。
慶應義塾大学工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社。平成5年、同社代表取締役社長就任。11年、IBMアジアパシフィックプレジデント兼代表取締役会長就任。15年から19年には経済同友会代表幹事を歴任。現在、日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問。慶應義塾評議員も務めている。

慶應塾生新聞会主催の講演会「これでいいのか、大学生!?」。講演者は日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問、前経済同友会代表幹事で、慶大工学部(当時)出身の北城恪太郎氏だ。前半は北城氏による講演「これからの社会に必要とされる人材」、後半は多方面で活躍する現役学生を交えたパネルディスカッションで、大学・大学生のあり方を考える二部構成となっている。この講演会に先立って、北城氏にお話を伺った。

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「子供のころの夢はノーベル賞を3つ貰うこと」
これは、北城氏が小学校時代に抱いていた夢だ。理由は「キュリー夫人は2つ貰ったから」。
「人生にはきっかけがあり、それを掴んで努力することが大切」。北城氏はこれまで一貫してこの姿勢を貫いてきた。
北城氏の通う小学校では、国公立へ進学する生徒が多数だった。その中で北城氏は、偶然塾の講師に慶應進学を勧められ、慶應中等部を受験した。当初は慶應に対する特別な思い入れはなかったが、入学後の自由闊達な雰囲気は、北城氏の自主性を大きく成長させた。
中学を卒業する時、北城氏は担任教師から忘れられない一言を告げられる。「英語の成績はあまり良くないね」。負けず嫌いの北城氏にとって衝撃的な一言だった。この出来事は北城氏の高校生活を決定づけた。塾高時代の3年間はあらゆる手段で英語に向き合った。ラジオ・テレビ・映画でひたすら英語を聞き、英会話スクールにも通った。まさに英語漬けの毎日だった。
そして高校3年生になったある時、とある雑誌記事を目にした。そこに書かれていたのは「これからはコンピューターの時代だ」という言葉だった。その言葉がきっかけで、北城氏は工学の分野へ進むことになる。
大学では管理工学を専攻しコンピューターのソフトウェア開発に没頭した。「コンピューターは思い通りに動かない。どこに問題があるのか解読することは、推理小説を読む様に面白い」。
研究には夜を徹して向き合った。コンピューターが普及していない時代、昼間は授業で使用され、夜しか研究で使うことが許されなかった。卒業式も終わった3月31日の夜まで研究室にこもった。「コンピューターセンターを出て見た星空が綺麗だった」。これが北城氏の大学時代最後の思い出となった。
大学卒業後は日本アイ・ビー・エム株式会社へ入社し、48歳の若さで社長に就任した。「学生時代の経験に無駄だったものは無い。いつか必ず役に立つ。ただし、当時は楽しいからやっていたに過ぎない」。北城氏は学生時代をこう振り返った。
出会いが「きっかけ」を生み、それを掴んで努力する。北城氏はその連続を経て現在に至る。「好きだ」「やってみたい」という直感を信じ、とことん向き合ってみることの大切さを、我々は忘れているのではないだろうか。
最後に、北城氏から学生に向かってメッセージを頂いた。「自分の進むべき道は自分で決めるべき。面白いと思った分野にとことん向き合えばいい。もっと挑戦の意欲を持ってほしい」
北城氏の今の夢は「若い世代を育てること」。学生や起業家など、これから活躍する世代を応援することが目標である。そんな北城氏が考える「これからの社会に必要とされる人材」とは―講演会で確かめてみて欲しい。

(有賀真吾)