1月26日午後6時。藤山記念館のとある会議室の扉を開けると―そこには、TOEICの参考書を傍らに机に向かう男の姿があった。田上和佳。就職が決まっている彼は、現在英語の勉強に必死。今季キャプテンとして慶大バスケ部を支えた田上は、今度は社会という次なるステージへ向けて、一歩ずつ踏み出している。そしてもう一人、慶大バスケ部を4年間牽引し続けた人物が会議室に現れた。「実は明日もテストなんですけど」と少々お疲れ気味の彼こそ、慶大不動のエース、小林大祐だ。
 ここに今季で引退を迎えたキャプテンとエースが揃い、田上×小林の対談形式インタビューが始まった。

【小・中学校時代】

 人の縁というものは、本当に不思議なもののように思う。いつ、どこで、誰と築いた縁が、どこまで、どのようなかたちで繋がっていくのか。田上と小林の“縁”は、ごく運命的なものだ。この4年間こそ慶大の二枚柱として大学バスケ界に名を馳せた二人だが、実は二人の出会いは小学校時代にまでさかのぼる。福岡県福岡市の、同じ小学校、同じ学年、同じクラス。そんな運命的な出会いを果たした二人に、当時の様子を聞いてみた。


―初対面時の印象は?
小林「僕は長尾幼稚園ってとこだったんですけど、長丘小学校ってところに行くのが僕一人しかいなくて。でも彼は、長丘幼稚園で結構直属な、そのまま長丘小学校みたいな。僕は一人で、人づきあいもすごく苦手だったのでなんかすごいドキドキしてたのを覚えてます。僕は幼稚園で一番でかかったんですけど、クラスに入ったときに彼の方がでかかったんです(笑)」

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今季で引退を迎えたエースとキャプテン。

―バスケをやろうと思ったきっかけは?
田上「僕は兄貴がやっていたので、兄貴にやろうかって言われて。大祐は……あれやね?秀嗣と一緒やったよね?」      
小林「うん」
田上「もう一人、国士館に阿刀秀嗣(あとうしゅうじ)てやつがいるんですけど、そいつと小中一緒で、幼馴染みたいな感じだったんです。僕は兄貴とやってたんで早めにミニバスに遊びに行ってたんですけど」
小林「そうなんや」
田上「3年……2年くらい?」
小林「ええ、そうなんや(笑)はじめて知った」
―で、大祐さんがそのあとに入ってきたと。
小林「僕はあとからですね。で、バスケットって背が高い方が有利なんじゃないかみたいな感じで、クラスででかいやつピックアップして入ろうってなったんですよ。阿刀ってやつが誘い始めて。僕もでかい方だったんで、それで誘われたんですよ。確か」
―ミニバス時代の、印象に残ってるエピソードはありますか?
二人「え~!?」
小林「あの……4年生大会が俺印象に残ってる」
田上「あ~(笑)。そうだねぇ」
小林「フレッシャーズカップっていって、最高学年4年生までの大会があって。僕ら結構人数いたんで、AとBの二チームにわけて試合をしたんですけどね。で、そしたら……なんやったっけな?泣かんかった?試合中」
二人「(笑)」
田上「でもまぁあの時は……練習中でもなんかピーピー泣きながらやってた気がするわ」
小林「なんか、その、ある小学校……」
田上「あぁ、あれね!」
小林「弥永(やなが)の」
田上「弥永ね(笑)」
小林「そう、なんか……決勝戦やったっけ?」
田上「決勝戦ではない」
小林「決勝じゃないか。結構強い小学校があって、そこの応援っていうのが地元でもすごい有名で。親も一緒になってなんか、一つのね」
田上「そう(笑)」
小林「合唱みたいな感じで応援するんですよね。とりあえず試合があったのがアウェーで。で、試合してるじゃないですか。小学校4年のちっちゃい子たちが。僕たちが最後の方まで勝ってたんですけど」
田上「そうそうそう(笑)」
小林「そして、相手の方に流れがいったときに。会場全体が敵みたいな」

田上「うん(笑)ヒドイぐらいの」

福岡時代の昔話に思わず笑みがこぼれる。
福岡時代の昔話に思わず笑みがこぼれる。



小林「ヤーナーガ!みたいな(笑)」
田上「グァー!っとこう。小学校4年生たちに向かって」
小林「そしたらね」
田上「コートの上でね」
小林「一人泣きはじめたんだよね」
田上「もう試合中に」
小林「試合中に。試合やってるのに。そしたら僕も泣きはじめて。スタメン全員泣きはじめて」
―その試合は勝ったんですか?
二人「負けました(笑)」
小林「あれヒドかったよね~」
田上「あれヒドかったね~」
小林「よくもまぁ4年生のあんなちっちゃい子たちに」
田上「そうだよなぁ(笑)」
小林「あんな仕打ちをしたなぁと今思うんですけど」
―バスケを始めたての頃はどんな選手でした?
小林「変わってないだろ、俺は」
田上「そうだねぇ、大祐は3番(フォワード俺は
)で」
小林「3番2番。そうだね、シューターみたいな感じで。タノはもう5番(センター)」
田上「けど小学生だったんで、気持ちが大事!みたいな。ガッツっていうか、とりあえず突っ込めばいいめばいいみたいな感じで。ヒドいプレイをしていたような気がします」
―中学校での実績とかはどんな感じだったんですか?
小林「中学校は……県大会2回戦で負けたのかな?」
田上「うん」
小林「ね?全国……行けたっちゃ行けたよね、あれね?」
田上「うんうん」
小林「結局全国に行ったのが、百道(ももち)と玄洋(げんよう)ってところで。市大会からライバルみたいな感じでやってて、準決勝で玄洋とあたって楽勝で勝って、百道も普通に勝って。福岡市一位で県大会に臨んだんですけど。それで、僕らそのとき体育館が無くて区の体育館を利用してたんで、クーラーガンガンきいてたんですよ。で、中体連(中学最後の大会)って夏なんで、県大会の会場っていうのがクーラーもなんも無しで、みんなバテバテになって」
田上「ははは(笑)」
小林「で結局……負けたよね。コケちゃって。結局全国行ったのは僕らが市大会で勝った2チームで……って感じでしたね」

【岐路】

 小・中と同じ学校だった二人が、高校で別々の道を歩むことになる。小林はバスケの名門、福岡大濠に進学。一方、田上は高校でバスケットボールを真剣に続ける気があまりなかったのだと言う。


―高校は別々でしたが(田上は筑紫ヶ丘、小林は福岡大濠)、一緒の高校に行こうとは?
小林「うん、なんか無かったよね?」
田上「大祐ともう一人の阿刀っていうのは、まぁ阿刀コーチの関係もあるし、バスケ続けるんだろうなっていうのが。まぁ普通に大濠に行くんだろうなっていう。で僕は、結構バスケは続ける気はなかったので。まぁそんなに続けないでおこう……みたいなスタンスでいるっていうことは、大祐たちにも言ってたんで」
―高校の時試合で当たったことはあるんですか?
田上「あります」
小林「あるよねぇ。2年生のときも当たったような気がする」
田上「けど、当たったときはコテンパンにやられてましたけど」
小林「まぁそのときは大濠の黄金期だったんで」
―試合の中でお互いを意識することは?
小林「ん~……でもポジションも違ったしねぇ?」
田上「そうだね。マッチアップすることもなかったですし。まぁ僕らのやってる地区からこっちに出てきてるやつら結構いて。早稲田の山田(純也)とか筑波の片峯とか。そいつらミニバスのときからみんな知ってて。まぁ大祐は小中一緒だから、大濠とやるときは試合前とか試合終わったあととかにふつうに話とかして。で、山田純也なんかは中学のときもミニバスのときもマッチアップしてたんで」

 

>>中へ続く


(2010年3月20日更新)


文 井熊里木
写真 阪本梨紗子
取材 阪本梨紗子、金武幸宏、井熊里木