今回のシンポジウムは慶應塾生新聞会が40年を迎え、新聞業界も転換期にあるなか、「学生から何かできないか」という声を反映して開催されたものだ。シンポ開催にあたっては、銀座の交詢社で行われた「慶應塾生新聞40年祝賀会」で発表された「塾生新聞の現在とこれから」の方針に基づき、①40周年にふさわしいテーマで五大紙の方を集め、シンポジウムを主催する②慶大のジャーナリズムの促進という目標の下で準備が進められていた。
パネリストとして、朝日新聞社からは編集局長補佐兼ネットディレクターの西村陽一氏、産経新聞社からは社会部長の近藤豊和氏、日本経済新聞社からは編集局次長の原田亮介氏、毎日新聞社からは社会部長の小泉敬太氏、読売新聞社からは編集局次長兼社会部長の溝口烈氏が参加。当日は編集長の遠藤和希の司会・進行で行われた。

問題提起

世界金融危機から早1年。アメリカでは広告の減少に経済危機が重なり、新聞社の経営が悪化。記者の失職が深刻化している。そんななか最近、失業した記者が集まったグローバルニュースなど新しいビジネスモデルが登場し始めた。「プロ」としてのジャーナリストという時代はもう過ぎたのか。現場の第一線で働く、編集局次長、社会部長らとともに新しいジャーナリズムの形を考え、紙媒体の展望を探る。

西村 各新聞社赤字となっており、ニューヨーク・タイムズも例外ではありません。アメリカの場合、広告収入が7~8割くらい。日本は販売と広告の比率がほぼ逆転しています。広告収入激減の打撃が圧倒的に大きいのはアメリカのメディアです。
しかし、問題は共通しています。我々の発信した情報を読んでいる人は急増しているのに、そこから収益を上げるビジネスモデルがまだ見つからないことです。朝日新聞の購読者は800万ですが携帯電話やアサヒコムなどのユーザーを単純に足せば800万×2とか3になっていくかもしれない。にもかかわらず、それが収益増に直結しない。オーディエンスの危機ではなく、その増加をマネタイズするモデルが見つからないという収入の危機ということです。

近藤 情報技術が進歩しても、あくまでも報道機関としてニュースを取材して表出していく役割は変わらないと思います。新聞社は民主主義社会に必要不可欠なものです。しかし、中長期的には新聞社は紙の社ではなくてかなり形態を変えていくんじゃないでしょうか。
日本の新聞は世界で人口1000人あたりの部数が一位。おそらく、産経新聞はその五大紙のなかでも一番ものを言う新聞だと思うんですけれども、保守系の色が強いですね。日本の新聞文化が栄えたのはおそらくどこの新聞を読んでも中立的だから、汎用型の新聞として広がっていったわけです。
産経新聞社は五大紙のなかでもっとも部数が少ないという意味では新しい領域に踏み込んでいかなければならないということで3年前にマイクロソフト様と提携しまして、MSNを立ち上げて月間4億PVを稼いでおります。別の運営サイトも含めると合計10億ほどですね。
ほかにも、2年前に産経エクスプレスというタブロイドの新聞を始めました。CMにはSMAPの木村拓哉さんが以前出ていました。今は、千原ジュニアさんです。CMで「残念じゃない新聞」と言っていますけれども、要は若者に新聞を手に取ってもらいたいというコンセプトです。新聞の体裁ですが一つの記事は短く、ワンコイン。本紙と同じですが100円で買えます。

原田 今、新聞もまた、有限の資源を皆が取り合っている競争の中にさらされているのだと思います。有限というのは「時間」「空間」「お金」の3つですね。時間とお金で言えば、若い方だったら携帯電話などで時間を取られていますし、通信料でお金がかかっていると思います。あるいは、エコの観点から新聞は資源の無駄だと思っている方がいる。新聞を購読すると家に溜まっていくという意味では空間がとられますね。情報の入れ物を紙ではなくデジタルに変えて、中身は今まで紙に載せていたニュース、解説を移すという取り組みは新聞社でも進めているところです。
学生がリポートを書くときにコピー&ペーストが流行っています。最近はそれを発見するソフトなどもでてきていますが、インターネットのコピー&ペーストで世界の情報は集められても実は周りの人もやっていて同じ情報しか集まらないということが起こる。新聞はベタ記事でも、編集した人間の側からすると色んな思いがある。何だろうなとそこから調べることで分かることもあります。自分の頭で考えてほしいということです。

小泉 今までとは違ってネットが有力な媒体となり、非常に比重が移っていることも事実ですけれども、新聞がなくなっていいのかというのは別の話です。新聞にはニュースが一覧で分かるという強みがあります。新聞は各紙が大きいと判断したニュースから順番に1面から扱っていますけれども、最初のページを見れば日本や世界で何が起きているのかが同時に目に飛び込んできます。ネットは自分の興味のある部分だけをクリックして読むことになります。ネットだけでは日本や世界の動きがわからなくなってしまう恐れがあります。
ジャーナリストの原寿雄さんが公的支援について論議すべきだと提言した記事を毎日新聞に掲載しましたところ、多くの意見や批判を頂きました。あくまで私個人の意見としては、公的支援というのは受けるべきではないと思っています。というのは、新聞の最大の使命は公権力を監視し、不正をただすことです。公的支援を受けるということは、それだけ公権力に対して鋭い追及が鈍ってしまう恐れが出てくるからです。あるいは鈍らなくても国民の目から見たら鈍っているのではないかと見られてしまう。その点だけをとっても公的支援は受けるべきではないと思います。

溝口 日本の新聞は戸別宅配制度というのがあってですね、皆さん新聞取ってらっしゃる方は分かると思うのですが、朝何時までということを言えば必ずその時間に届いているということですね。雨が降れば、ビニールに包んで届ける。どこに入れてくれと言われれば言われたところに届ける。雨が降っても台風がきても新聞が毎朝届くというのが新聞の良いところとしてあるということですね。新聞を届けるのは販売店ですが、我々が作った新聞は読者の手元に届いて初めて完成する言論情報商品です。 それから、新聞には一覧性があります。新聞は開けばいろんなニュースが載っていてですね、自分の興味のない分野の記事でも見出しが目に入って面白そうだと思って読むわけです。新聞は情報のバランス栄養食だと思います。我々編集の人間としては、中立の立場で新聞という商品の質を高めるということに集中しています。

西村 2つの相反する力が綱引きをしています。一つは加速度的に読者が増えているのに収益を上げるビジネスモデルが見つからない負のベクトル。もう一つはオンラインジャーナリズムの潜在的な力、プラスのベクトルです。新聞記事の構成要素は5つか6つしかありません。リード、見出し、本文、解説、図表、写真。あとはいかにスクープを流し込むかです。オンラインは知人の説を借りれば50以上の要素があります。データベース、GoogleMap、スライドショー、フォトギャラリー、動画、SNSをはじめとするツールの幅の広さは物凄い力をひめている。新聞記事の質を不断に高めつつ、オンラインの潜在力を追求しなければなりません。
朝日新聞ではかつてネットニュースはデジタル関係のセクションが、新聞製作は編集局がやっていました。現在はニュースに関しては完全に統合されました。新聞、パソコン、携帯電話、電光掲示板といった媒体にかかわらず、ニュース記事に関しては取材、送稿、編集、配信は一元的に編集局が担っています。編集局は24時間体制です。経済記者を例にとればJALの経営再建問題があれば、携帯向けの第一報、PC向けの続報、新聞用の深い解説をすべて担当する。将来は、一つの問題でツイッター、ウェブ用の音声解説、テレビ向けの解説リポートだってするようになるでしょう。単純計算では仕事量が増えることを意味しますが、オンラインジャーナリズムの技術力を利用して記者の仕事の効率化や編集局の再編が求められるでしょう。もちろん、伝統的な調査報道には別の論理が働きます。
オンライン課金に関して言うと、難しいのは、今までタダだった情報に値段をつけることに伴う壁の高さです。無料でネットに情報を送り、PVを稼いで広告収入をはかるビジネスモデルは、日本だけではなく、欧米のメディアも採用していましたが、デジタル広告収入モデルを確立する前に到来したリーマンショックで見通しが立たなくなったわけです。どんな情報ならユーザーはお金を払ってくれるのかを探さなければなりません。

近藤 ネットですと情報を見る側に選択権がありますので、新聞社の販売で配る新聞の一面トップではPVは稼げません。しかし、芸能ニュースでありますとか、悪い言い方でいいますとエログロ的なものであれば稼げるんですね。そういった数値的なところも意識していかないとビジネスにならないというのが悩ましいところです。
私どもは読まれる記事を増やしていくべきだと思っています。上からものを言って、言うことを聞けみたいなものは孤高ジャーナリズムとして読者離れが進む。本当に読まれるべき情報は何かをマスメディアはもっと考えなくてはなりません。一つの試みとして社会部オンデマンドという読者の要望で取材するコンテンツがあるのですが、そこで「ウォシュレットというのは汚くないか」という読者の質問を徹底的に調べました。それが非常に人気だった。お金を払ってでも見たい情報は何なのかということを本当の意味で考えなくてはならないですね。

原田 値段やどういう内容にするかというのを話すのは時期尚早ですが、社内では電子新聞を来年出そうという議論になっております。ちなみに日経ヴェリタスという金融専門紙に関連してオンライン情報の課金を始めましたが、そのキーコンテンツは四半期ごとに出版している「会社情報」のリアルタイム版です。
新聞記者の働き方は基本的には何を取材して報道するかというところで変わらないと思うんですね。例えば、テレビの情報番組をつくる際は朝刊の新聞を読んで今日はこれでいこうとか決める。つまり、新聞記者はニュース解説の一番基礎となるコンテンツを提供しているわけですね。Googleが記者を抱えているかというと抱えていないわけですから。編集取材をする組織として取材網を張り巡らせています。基盤に新聞があって、そこからインターネットの情報があったり、テレビがああったりすると、我々は自負している。つまり、単純に言って、ある相手に取材して、世の中に出ていないところを明らかにする。おかしいところはおかしいこととして書く。その基本は紙の部数が減って有料の課金システムができても変わらないです。一方、WEBの文化で皆がブログを書くようになって、発信したいという気持ちも強まってきます。新聞に「編集」して欲しくないという人もいるでしょう。そういったテイストにもあわせないといけない。主張を押し付けたりせず、読者の視点でわからないものを丁寧に取材して報道するということがますます大切になるので、そこは現場によく言っています。

溝口 読売新聞は、先月「ヨミドクター」という医療・介護・健康に特化した課金を含むサイトをオープンしました。医療ルネサンスという長期連載があるのですが、その記事や全国の病院を独自の調査などで載せているサイトです。一つの分野に特化するということで、新聞業界では新しい試みだと思います。まだスタートしたばかりですが、すべてのコンテンツを利用するには、読者会員の方は月210円、購読されていない方は420円となります。

小泉 毎日新聞は紙媒体が大事だと思っています。しかし、同じニュースを色々な方法で多くの方に提供していきたいというのはありますので、さまざまなことをしなくてはいけないし、ニーズに合った情報を提供していかなければいけないと思っています。

塾生新聞へ寄せられた質問

溝口 新聞記者にしかできないことはいろいろあると思うのですが、中でも調査報道というものがあります。これは、取材を積み重ねて、新聞社の責任で記事を載せるという所謂スクープ、特ダネと呼ばれるものですね。スクープというはますます新聞にとって大きなものとなっている。スクープというのは新聞社が発信して初めて世に知られる。発信した瞬間が速報なんです。調査報道ということに関しては新聞の存在意義を示す大きなものだと思います。

西村 よく言われることですがアメリカでキンドルが浸透した、それも中高年層に広まった背景の一つは、新書や文庫の強固な伝統がないからです。私は米国で通算7年働きましたが、とにかく本が分厚くて出張の際にはとても複数冊持てなかった。書籍用の電子端末が日本で成功するのかわかりません。ただ、キンドルに限らず、将来、いろいろなモバイル、ワイヤレス媒体に情報を一部課金して流していくとすれば、どうなるでしょうか。世界でウェブサイトの課金に成功している新聞社はウォールストリート・ジャーナルとフィナンシャル・タイムズくらいです。情報課金にも様々なパタンがあります。キンドルだけ、PCだけというより、将来は様々なパターンの組み合わせ、パッケージという形になるかもしれませんが、我々のような一般紙には課金は非常に困難な課題です。