1977年10月、アメリカ・オハイオ州で連続レイプ事件は起こった。被疑者は22歳の青年ビリー・ミリガン。証拠も揃っていた。居所も捕捉した。ところが事件は思わぬ展開を見せる。ビリーは一つの肉体に複数の人格が宿る解離性同一性障害(多重人格)だったのだ。当時はアメリカでも珍しかった多重人格者ビリーの前半生を描いたノンフィクションがダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』だ。
ビリーにはビリー本人の他に23の人格があった。理知的なイギリス紳士、スラヴ訛で話すユーゴスラビア人、耳の不自由な子供、絵の才能に恵まれた者、縄抜けの達人、レズビアン、ユダヤ教徒、反社会的なものもいれば、口の上手い社交的なもの、さらには三歳の少女もいる。こうした、際立った個性を持つビリーの「家族」はどうして生まれたのか。心の中に23人の人間を抱えたビリーはこれまでどう生きてきたのだろうか。
ビリーの人生はあまりに過酷だった。義父からの虐待で人格は引き裂かれ、度重なる記憶喪失でまっとうな生活を送ることもできず、人格の一人が行った犯罪で逮捕され、自分が多重人格であるという悲しい事実を突きつけられる。ずっしりとノンフィクションの重みがのしかかる中、読者はビリーという人間を前に何を感じるだろうか。
ビリーを巡る動きには二種類あった。彼を幼児虐待の被害者と捉え、障害の治療を励ます者と、彼を危険視し、悪質な犯罪者として封殺してしまおうとする者。時流は後者に味方した。ビリーは忌々しい精神病院に閉じ込められてしまう。
彼が強盗やレイプという罪を犯したことは許されることではない。犯罪者が精神病という免罪符を手に街を自由に徘徊するのを我慢できないと思う人間がいるのも仕方のないことかもしれない。だが、そこには行き過ぎた悪意もあった。マスコミはこのショッキングな事件を飴玉の如く舐め回し、心無い政治家は売名行為の種として利用した。そんな中でも、彼を見捨てぬ人たちが僅かでも存在したことが、彼にとっての唯一の救いだった。
多重人格は正確には精神病ではなく、神経症の一種だ。ビリーのようなケースは非常に稀だが、実は私たちは多かれ少なかれ複数の人格を持っていないだろうか。TPOに合わせて、いくつかの自分を自然と使い分けているだろう。社会でサヴァイブするには必要な技術でもある。そんな中で、どれか一つを「本当の自分」と決めなければならないとしたら、それこそ神経症に陥ってしまう。
90年代日本において、その現象は「自分探しブーム」として顕在化した。「どこかに存在するはずの本当の、純度の高い自己」という幻想はどういうわけだか魅力的に思えた。結果、自己実現の檻に閉じ込められ、思い悩む人が増えた。彼らが救いを求めて縋ったものの一つはカルト的な新興宗教だったかもしれない。そして95年は忘れられぬ年となった。
閑話休題。本書の解説で香山リカ氏も「私さがし」に触れ、是非はともかくビリー・ミリガンは多くの人に「私」とは何かを考えるきっかけを与えたと述べる。「私」をめぐる問いは今も尽きることは無い。
続編『ビリー・ミリガンと23の棺』には精神病院内での壮絶な体験が綴られている。現在は人格の統合に成功し、映画関係の仕事をしているというビリー。彼の人生が今後、平穏であらんことを願ってやまない。
(古谷孝徳)