ルポ 福島第一原発 廃炉のイマに迫る

2011年3月11日、「千年に一度」と言われる大災害が、日本を襲った。東日本大震災である。当時小学6年生だった筆者は、宮城県仙台市で被災した。あの震災からまもなく8年。時間は着実に流れている。

原発周辺の地図

この8年に渡り、まさに「懸命」の作業が続いている場所がある。福島県双葉郡大熊町にある、東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)。関係者たちは、1F(いちえふ)と呼ぶ。

あの日、高さ約15メートルの津波が襲った。非常用バッテリーを含む全ての電源が失われ、冷却機能はストップ。当時稼働中だった1・2・3号機では核燃料が高温で溶け出し、格納容器下部へ流れ落ちた(メルトダウン・炉心溶融)。また、1・3・4号機では建屋内に水素が充満し、爆発が発生(水素爆発)。大量の放射性物質を放出した。

国は、福島第一原発の廃炉まで30年から40年かかると見込んでいる。だがこれはあくまでも予定であり、溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出し方については、現在も調査中である。廃炉までの道のりは、長く、果てしない。

先月7日、東日本大震災を巡る社会問題に関心を持つ慶大生8名と、慶大文学部の教授3名が福島県を訪れ、福島第一原発を視察した。筆者もその中の一人である。本稿は、世界に衝撃を与えた原子力災害の現場に潜入し廃炉のイマに迫る、その記録である。

(取材:太田 直希)

 

「原発PR」は「廃炉」へ

東京電力廃炉資料館  (東京電力提供)

朝9時半。一行は、富岡町にある東京電力廃炉資料館で東京電力の担当者と合流した。

案内をしてくれるのは、廃炉推進カンパニー部長・廃炉推進コミュニケーションセンター副所長の野呂秀明氏。

この廃炉資料館は元々、「エネルギー館」という福島第二原子力発電所のPR施設であった。震災以降は長く休館していたが、2016年11月に視察者受け入れ施設として利用を再開。昨年11月30日には、原発事故と廃炉作業について伝える廃炉資料館としてリニューアルした。

館内の展示は、映像や模型を活用し、事故や廃炉の概要について分かりやすく伝えている。

床面のディスプレイで実寸表示できる
原型作業員の防護服

 

街の希望は絶望へ

東京電力が準備したバスに乗り、廃炉資料館から福島第一原発へと向かった。

回転寿し「アトム」

まず目を奪われたのは、廃炉資料館の近くにある回転寿司店「アトム」(現在は閉店)。ご存知の通り、「アトム」とは日本語で「原子」という意味。

国道6号をしばらく直進すると、福島第一原発のある大熊町に入った。町の看板には、このようなキャッチフレーズが。

「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」

過疎化の進む町にとって、莫大な補助金と雇用をもたらす原発は、希望の光だった。そんな町の希望を一瞬で絶望に変えてしまった原発事故。私たちは、まさにその現場に向かうのだ。そう思うと、気持ちがキュッと引き締まった。

 

厳しい持ち物制限

構内へ持ち込めたもの

福島第一原発に到着した一行は、協力企業棟に入り、原発事故の概要について30分ほど説明を受けた。

いよいよ原発構内の視察へと向かう。ここから先は、持ち込めるものが厳しく制限されていた。

持ち込むことができたのは、ICレコーダー、ボールペン、メモ帳、構内マップ。スマートフォンやカメラは、「核物質保護上の理由で持ち込むことができない」とのことだった。

今回の取材では、「核物質保護」という言葉が何度も聞かれた。その意味するところは、簡単に言えば「テロ対策」ということである。原発内部でのテロを防ぐために、情報が徹底的に守られていた。

 

着替えは不要  原発構内へ

ベストを着用する (東京電力提供)
線量計の説明の様子 (東京電力提供)

一行は協力企業棟に隣接する入退域管理棟へ移動した。金属探知機による身体検査を終えた後、入域に必要な装備が配られた。

まず、服に胸ポケットが付いていない人に、胸ポケット付きのベストが配布された。そして、全員に警報付き個人線量計(APD)が配布され、胸ポケットにしまうよう指示された。

入域に必要な装備は、実質的にはAPDのみであり、着替えは不要であった。原発の視察といえば、防護服・全面マスク・二重の手袋や靴下・テープの目張り――そんな装備を予想していた筆者は、あまりの軽装備に驚いた。

野呂氏は「以前は手袋・靴のカバー・マスクの着用が義務だったが、今ではその負担もなくなった」と振り返る。除染や舗装(フェーシング)により構内の線量が低下したため、バス車内から視察する分には着替える必要がなくなったという。

 

「ご安全に!」

 いよいよバスに乗り込もうとしたところ、近くの作業員の方のこんな言葉が耳に入った。「ご安全に!」。耳慣れない言葉だ。

「業界用語みたいなものです」と野呂氏。この言葉は、福島第一原発の中だけで使われているわけではなく、鉄鋼業界・発電業界など、幅広い「現場」で用いられているようだ。

いよいよ視察が始まる。――「ご安全に!」 

 

廃炉の最前線へ

1号機(模型)

バスは原子炉建屋へ向かった。海抜約30メートルの丘から、1・2・3号機を視察する。

まずは、メルトダウン(炉心溶融)・水素爆発が発生した1号機。

現在は、建屋上部のガレキを撤去中だ。日本に十数台しかないという巨大なクレーンの先に、用途に応じた数種類のアタッチメントを付け替え、作業を行っている。放射性物質を含む粉じんの飛散を防止するため、ガレキには特殊な合成樹脂が散布されている。

ねじ曲がった鉄骨が、爆発の大きさを物語っている。

解体作業中の1号機 (東京電力提供)
この日はペンチ型のアタッチメントをつけている (東京電力提供)

 

2号機は、メルトダウン(炉心溶融)に至ったものの、1号機の水素爆発の衝撃で建屋上部のドアが開いたため、水素爆発を免れた。現在は、建屋内部の調査に向けて準備を行っている。

2号機は、建屋こそ原型を留めているものの、1・3号機と同じくメルトダウン(炉心溶融)が起こっており、非常に高線量だ。建屋の見た目だけで判断することはできない。

2号機建屋は原型を留めている  (東京電力提供)

 

1号機と同じくメルトダウン(炉心溶融)・水素爆発が発生した3号機。

現在は、建屋上部のガレキの撤去と燃料取り出し用カバーの設置を終え、使用済み燃料の取り出しに向けて準備中だ。

3号機の燃料取り出し用カバー  (東京電力提供)
3号機(模型)

 

坂を下り、原子炉建屋のある海抜10メートル地点へ。周辺の建物には今もなお津波の跡がくっきりと残っている。「このバスも水没していることになります」という野呂氏の言葉に、津波の大きさを改めて実感した。

建物に残る津波の痕跡  (東京電力提供)

4号機は当時、定期検査中であったため、原子炉に核燃料はなく、メルトダウンを免れた。しかし、3号機の水素が排気設備を通じて流入し、水素爆発に至った。

現在は、使用済み燃料の取り出しを終え、一定の安全が確保されている。

使用済み燃料取り出しのため、建屋南側(写真右)には、鉄骨の構造物が建てられた。使用された鉄骨は4200トン、東京タワー1棟分にのぼる。

4号機(模型)

 

氷の壁、その効果は

4号機の東側(内陸側)では、銀色の太いパイプが2本、地中へ伸びている。これは凍土壁を作るための凍結管。マイナス30度ほどの冷媒(冷却液)を地下へ送り込んでいる。

昨年3月には、1号機から4号機を囲む1.5kmに渡り、深さ30メートルの「氷の壁」が完成した。これにより、原子炉建屋内への地下水(後述)の流入を抑えようとしている。

この凍土壁に関しては当初、効果を疑う声が多かった。これについて野呂氏は「凍土壁が完成した現在は、凍土壁の内側と外側で地下水位が4メートルほど変化しており、機能していると言えるだろう」と説明する。

 

タンクいっぱいの処理水、その正体とは

処理水を保管するタンク (東京電力提供)

構内を進んでいくと、タンクの多さに驚く。

震災前の福島第一原発敷地内には、「野鳥の森」と呼ばれる広大な森林があった。しかし、原発事故により生じた「処理水」を保管するために、森林は伐採され、今では大量のタンクが設置されている。さながら「タンクの森」だ。

原発構内に大量に保管されている「処理水」。その正体は何なのだろうか。「汚染水」との違いは何なのだろうか。

汚染水の流れ

1~3号機では、原子炉の温度を保つために冷却水が注入されている。また、建屋内には地下水も流入している。これらの水が溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)と接触することで、放射性物質に汚染された水(汚染水)が発生している。

これらの汚染水は、複数の浄化装置を用いることで大部分の汚染物質を除去できるが、「トリチウム(三重水素)」という、水と似た性質をもつ物質だけは取り除くことができない。そのため、このトリチウムを含む水(処理水)をタンクに入れて原発構内で保管しているのが現状だ。これが「タンクの森」の正体である。

この処理水については、タンクからの流出や、トリチウム以外の汚染物質の検出など、様々な問題が生じているが、主な問題は、今後の処分方法である。

トリチウムは比較的人体に影響が少ないとされており、規定の濃度まで希釈すれば、海に放出することができる。そのため、原子力規制庁は処理水の海洋放出を求めている。ただし、処理水を海洋放出すれば、風評被害を避けられない、とする声も根強い。

 

今も残る津波の爪痕

 2号機と3号機の間を抜けて、海へ向かう。建屋はまさに目と鼻の先。線量が非常に高いため、バスは素早く通り過ぎた。だが、防護服なしで通過できるまでになったのは、大きな変化だ。

建屋近くのプレハブ小屋には「心をひとつに ネバーギブアップ福島!」の文字。今日も廃炉の最前線で、懸命の作業が進んでいる。

海へ出た。目の前には広大な太平洋。数えきれないほどたくさんのカモメが飛んでいる。この日は晴天で、波も穏やか。きれいな青い海だ。そんな海が、突如として牙をむくこともある。自然の恐ろしさを忘れてはならない。

大きな白いタンクが流されたまま、放置されている。ガレキの撤去はかなり進んだそうだが、今もところどころに津波の爪痕が見られる。

海岸に目を向ける。津波で大きく損傷した港湾は、きれいに整備された。少し離れたところには、1艘の白い船。海上保安庁の巡視艇だ。こちらも「核物質保護上」の理由から、厳重に警備を行っているという。

この港湾内に入った魚は、他地域で漁獲されることを防ぐために、今も駆除されている。これも福島第一原発の現実である。

 

「0.01ミリシーベルトになります」

 視察を終えた一行は入退域管理棟に戻り、被ばく量の測定を行った。

まずは「退出モニタ」と呼ばれる装置で、体表面の放射能汚染を確認する。次にゲートを出て、職員の方に線量計を渡す。

職員「ご一緒にご確認ください。ガンマ線が0.01ミリシーベルトになります。ベータ線が0になります。以上になります。お疲れさまでした。」

これで退域の処理が完了した。被ばく量は当初の予定通り。ちなみに、今回の被ばく量0.01ミリシーベルトは、歯のレントゲン1回分に相当する。東京・ニューヨーク間を飛行機で往復した場合の被ばく量は0.1ミリシーベルトであるから、その十分の一だ。

全員の退域処理が終わり、退域エリアを離れようとしたところ、「ピューピューピュー」と大きな音が鳴り響いた。作業員の方の被ばく量が規定量に達し、APDが警告音を発したようだ。想像より大きい音だった。

原発作業の被ばくの現実を目の当たりにし、緊張感が走った。視察の最後にどきりとする場面だった。

 

作業員のパワーの源、その味は

5種類のメニューの中から選ぶ (東京電力提供)

協力企業棟の隣にある大型休憩所で、昼食をいただいた。

メニューは定食A・定食B・麺セット・丼セット・カレーセット・麺単品の5種類から選べる。価格は、麺単品は280円、その他は380円。野呂氏は「多くの作業員の方に温かい食事をとってほしいという思いからこの価格設定にしている」と説明する。

筆者は丼セットをいただいた。この日の丼セットは、あんかけカツ丼・和え物・味噌汁の3点。メインのあんかけカツ丼は、提供直前にあんをかけており、カツのサクサクとした食感と温かいあんが絶妙にマッチする。心がほっとするような味だ。

東京電力の女性社員は、「作業員の方々がいただくものだから、ボリュームがある。ご飯を少な目にしてもらうこともある」と言う。

大型休憩所にはコンビニエンスストアもある。実際に入ってみると、店内は少し小さめだが、食品・飲料・衛生用品など、品揃えは十分だった。駅や病院の中にある小型店舗に近い。

 

廃炉を「食」から支える

渋谷昌俊氏一行は福島第一原発を離れ、約9キロメートル離れたところにある福島給食センターへ向かった。先程いただいた食事は、全てこの施設で作られている。

福島復興給食センター株式会社代表取締役社長の渋谷昌俊氏は、「広野のお米や、小名浜の魚など、福島県産の食材をふんだんに利用している」と語る。今では食材の4割程度が福島県産とのことだ。

フードテロを防止するため、作業員に番号を振り、100台以上の監視カメラを用いて徹底的に管理しているという。意外な「核物質防護」である。また、電力会社の関連施設ということで、調理設備はオール電化となっているそうだ。

給食には、福島県産の食品を利用している
フードテロ防止のため、職員は番号で管理されている

「復興への歩み、肌で感じて」

一行は廃炉資料館に戻り、福島復興本社部長の廣川克典氏からお話を伺った。学生・教授陣と廣川氏の間で、活発な質疑応答が交わされた。

文学部2年の女子学生は、「福島について、原発事故当初の印象を持ったままの人が多い。復興に携わる者として、福島をどのように見てほしいか」と尋ねた。

廣川氏は、「ぜひ一度福島を訪れ、現在の福島の様子を生で実感してもらいたい。また、できれば定期的に再来し、復興の進展を感じてほしい。」と語った。

 

原発問題を「自分事」に

6時間に及ぶ福島第一原発の視察が終了した。帰りのバスに揺られながら、こんなことを考えた。

筆者は被災者として、福島第一原発の情報に注目してきたつもりだった。しかし、今回の視察を通して非常にたくさんのことを学び、考えた。まさに「百聞は一見に如かず」である。

東京から200キロメートル離れた福島の地で起こった悲劇。首都圏で暮らす私たちにとっても、それは決して他人事ではない。これからの日本社会を引っ張っていく塾生たちには、ぜひその目で廃炉のイマを見てほしい。そして原発を巡る問題を「自分事」として捉えてほしい。

バスは三田の地へ。眠らない街、東京。その景色は、いつもと違って見えた。

慶大三田キャンパス東門と東京タワー

(終)


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