2016年秋、塾生新聞は一人の塾生の冒険を取り上げた。当時、法学部政治学科の3年生だった駒井祐介さんだ。駒井さんは、留学先でヨセミテ国立公園でクライミングに挑んだ。

そして昨年、駒井さんは再びヨセミテに挑んだ。その冒険の記録を塾生新聞に寄稿してもらった。

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2年ぶりに訪れたヨセミテ渓谷の岩は、ただ変わらずその荘厳さと共に天を衝いていた。何千万年という時間をかけ、シエラネバダの雪解け水の浸食により創り出されたその大岩壁は、相も変わらず自然の強大さを見下ろしながら語りかけてくるようであった。ロッククライミングの聖地と呼ばれるヨセミテには、ほかのどこにもないほど大きく美しい花崗岩の岩壁が、至る所で白く光りながら立ち並んでいる。1000mを超える一枚岩の壁を目の前にしたことがある人間が、果たしてこの地球上にどれくらいいるだろうか。ヨセミテに足を運んだことのある人ならば分かるだろうが、大きすぎて麓から頂上を見上げると首を痛める。想像していただきたいのだが、真上に1キロメートルだ。世界最大にして最強の一枚岩の名は「エル・キャピタン」。紛れもなく、このドえらい化け物に喧嘩を売った(登った)慶應生の話をこれからするのだが、運悪くこの記事をここまで読み入ってしまった読者の皆様のために、軽く自己紹介させてほしい。

慶應義塾体育会には、実に43もの部活動が存在する。きっとたいていの日本人が思い浮かべられるスポーツは網羅しているのだろう。その中でも一際知名度が低い上に小規模で、そして明らかにどの部活動よりも体を張っている団体をご存じだろうか。きっと色んな意見があるだろうが、異論を認めるつもりはない。正解は山岳部だ。実態がほとんど知られておらず、世間にとっていまだ謎が多いというこの部活動には、全学年含めて15名ほどの変態が集まっている。山岳部の活動領域を語ればキリがないのだが、簡単に言えば山、沢、岩場あたりが我々の主なフィールドだ。平日は朝練、活動の反省、山行の準備を行い、週末は山岳部のメインキャンパス(長野あたり)へ足を運ぶ。僕が主将を務める体育会山岳部には、数名の部員から構成される、岩登りを専門とするクライミングチームという組織が存在する。平成最後の夏にこのクライミングチームのメンバーで、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園に遠征をすることになった。実はまだ主将になる前だった学部3年時の1年間、自分はカリフォルニアの大学に留学し、学校に行っているふりをしながら(単位はしっかりと取得しつつ)ヨセミテを含むカリフォルニアの岩場でクライミングに明け暮れた。その時の経験を部に還元しながら、このヨセミテの地で山岳部員として成果を上げるため、こうしてまた舞い戻ることとなったのである。2016年に寄稿した「塾生、ヨセミテに挑む」の記事がまだ塾生新聞のweb版に残っているとのことなので、僕自身の詳しいプロフィールをご所望の方はそちらをご参照いただきたい(※記事の最後にリンクがあります)。

今年の夏、慶應義塾體育會山岳部はThe Noseと呼ばれるエル・キャピタンの歴史的初登ルートを登りに遥々アメリカまでやって来た。ルートの長さは1000mを超えるため、到底1日では登り切れない。3日半かけて頂上まで登る計画である。このように長いクライミングをするとなるとロープが必要になるため、2人以上で登るのが一般的である。今回は僕のパートナーとして、理工学部の岡田を任命した。志木校のラグビー部出身、心身ともに見事に鍛え上げられた今期の副将である。ツイッターで人気の慶應筋肉図鑑とやらにも積極的に応募してしまうお調子者ではあるが、彼の4年間の活動を見守ってきたのは自分なので、実力は保証できる。この長く険しいルートを攻略するべく、今年に入ってから国内の岩場へ通うこと30回以上、共にトレーニングを重ねてきた。

9月11日の昼にサンフランシスコで岡田と合流し、その日のうちに食糧と炭酸飲料のボトルを買いためた。飲料水の入った柔らかいプラスチックのボトルは、荷揚げ用のバッグの中で破裂してしまう恐れがあるため、炭酸飲料の堅いボトルに水を入れて運ぶのである。これも2年前に培った経験からなる戦略の一つだ。買い物を済ませ、東へ4時間ほどのドライブ。自分は岡田より1週間早くアメリカへ発ったので、車の中で合宿直前の後輩たちの活動状況を聞いていた。どうやらこの合宿をもって自分は安心して引退できるようであった。たわいもないいつもの野郎トークをしていれば、4時間の運転はあっという間だ。日本とは逆の左ハンドルの運転にも慣れてきた頃、Billy Joelのアルバムを聴きながら真夜中の渓谷入りを果たした。こうして山岳部のヨセミテ合宿が幕を開けた。

翌朝、キャンプ場で目を覚ますと、空はまだ色の薄い朝方の青空だった。雲は1つもなく、今すぐにでも登りだせるような気持ちのいい朝だ。朝食をとり、颯爽とキャンプ場を去る。そして、早速使用するギアの整理を始めた。そう、岡田のアメリカ到着翌日からクライミングはスタートする。数か月前から、「駒井さん、その日程さすがに無理ないですか!?」と岡田に突っ込まれていたものの、日程的にこうするほかなかったのである。時差ボケのせいで寝られないことを心配していたらしいが、僕よりもぐっすり寝ていたようなので問題ないだろう。エル・キャピタンの目の前に広がる広場、El Cap Meadowで一度、これから登る壁を見上げてみた。懐かしさと少しばかりの緊張を噛みしめたあと、これから待つアドベンチャーへの期待で胸がいっぱいになった。岡田はどうやらこの怪物の大きさにまだ目が慣れていないようである。それもそうだろう、日本の国内最大級と呼ばれる岩壁でもせいぜいこれの半分以下なのだから仕方ない。

エル・キャピタンの取り付きまで荷物を運び、9月12日午後3時、The Noseの1ピッチ目に取り付いた。1日目は5ピッチ(180mほどの高さ)まで登り、岩が平らになっている地点で1泊する予定である。出だし好調で、2年前よりもはるかにスピーディーに登れているように感じた。道具に頼らず、自分の手足だけで登るフリークライミングのスタイルでほとんどのセクションを登り、18時頃には初日の目的地に到着した。翌朝のスタートダッシュのため、レッジ(編注:棚状にせり出した岩)からもう1ピッチ上まで登り、ロープをセットしてから寝ることに。明るいうちにすべての作業を完了し、お湯を沸かして晩飯を食べる。今晩の食事は、日本から持ってきたアルファ米と、アメリカで調達したチリマックビーフだ。お湯を入れるだけで出来上がる便利な代物だ。さほど疲れてはいないが、体にしみる美味さだ。山で食べる温かい晩飯ほど美味いものは、この惑星には存在しないのである。

若干滑り落ちそうな傾斜の形状だが、気にせず寝袋に入って目を閉じる。すると夜中の11時ごろ、後続で登ってきていたと思われるパーティーのリードの女の子が同じレッジに到着した。ヨセミテナショナルパークで働いていると言う彼女は、「Mimi! Off belay!」とフォローの相方に声をかけてロープを引いていた。彼女の名はメアリグレイスというらしい。今晩はこのレッジから地上までロープを縦に3本張り、翌朝またロープを伝って上がってくる予定とのこと。せっかくなので少し話していた。彼女いわく、どうやらフォローとして登ってきている相方のMimiはめちゃくちゃ可愛いらしい。その上、斜め下からだんだんと近づいてくる彼女は、少しかすれたアリアナ・グランデのような愛らしい声の持ち主であった。2人はヨセミテでガイドをしているらしく、夏前からエル・キャピタンのためにトレーニングをしてきたとのこと。明日の目的地点は我々と同じEl Cap Towerらしい上、暗い中ヘッドライトを点けてわざわざ起き上がるのは面倒くさいので、あえて面と向かって話すことはせず、小さな楽しみを翌日に取っておくことにした。「See you then!」と言って暗黒へと懸垂下降してゆく彼女らを見送り、再び眠りにつくことにした。明日は今日の倍以上の距離を登らなければいけない。