「慶大の入試にはなぜ小論文の科目があるのだろう」。一般入試を受けた塾生の皆さんは少なからずこんな疑問を持ったことがあるのではないだろうか。昨年、2021年入試から導入される「共通テスト」を慶大は採用しないと発表した。ここで改めて、慶大入試の特色とも言える小論文の背景を、歴史的な文脈から探る。(構成=竹西怜・杉浦満ちる)

【目次】

◆慶大小論文の歴史を探る

◆専門家が語る小論文

学部ごとに形式や方針は異なる

2019年度一般入試で小論文を課す学部は文・経・法(「論述力」として実施)・商(「論文テスト」としてB方式で実施)・医(二次試験で実施)・総・環・看護(二次試験で評価)である。弊紙調べでは、戦前にはすでに文学部で「作文」と題した小論文の入試問題が存在している。また、学部に進学する前段階としての教育を行う機関である大学予科で、入試問題に作文があり、テーマの中には「普通選挙」(1928)「勤労の必要を論ず」(1935)といった政治思想に関わるものもあった。

「小論文」と一口に言っても、学部ごとにそれぞれ異なる方針を持っていることがうかがえる。例えば70年代後半ごろの経済学部では「現行の小論文は単なる作文ではなく、どこまでも『社会』の試験である」(『三田評論』1977年6月より)としており、独自性のある問題作りをしている。

各学部の出題内容(2019年度一般入試)

現在でも、学部によって問題形式の傾向は大きく違っている。入試要項に記載されている小論文で問う能力も、学部ごとに違いが見られる。

長い歴史を持ち現在まで続いている小論文入試だが、ここまで重視されている理由は何だろうか。「書く・論じる」という行為そのものにも視野を広げ、3人の識者の言葉から解き明かす。小論文に込められた意味を改めて見つめ直せるはずだ。

知的多様性を評価するための小論文 慶大文学部長・教育学者 松浦良充教授

文学部長・教育学者 松浦良充教授

慶大が採用している小論文はその特徴として、マークセンス式では測れない「知的能力の多様性」を測ることのできる科目です。文学部でいえば、現行の英語・地歴・小論文の3科目制は1980年実施の入学試験より始まりました。これは受験者数が減少傾向に転じたこと、また高度経済成長期が終わりオイルショックなど日本経済の先行きが不透明になったこともあって、豊かな思考力を重視する傾向が大学入試において強まったことが影響していると思います。

慶大入試には国語科目がありませんが、その理由として慶大文学部で考えているのは、国語力(言語力)に関しては英語・地歴の2科目でも問題文読解や、和文英訳・英文和訳によって測れるからです。また、小論文という科目は学部が受験生に問いたい能力に柔軟に対応しやすいものです。あくまでも一般論としてですが、古典や数学・自然科学関連の出題もしようと思えば可能な形式ではあります。

90年代以降、AO入試が登場するなど入学者選抜が多様化してきています。知的多様性を評価するだけでなく、よりよい能力や可能性を持った人材を確保していこうという考え方も出てきています。

慶大入試は各学部によって大きく性格が異なります。小論文と一口に言っても学部によって違いがあるのです。各学部による出題方式の違いは、それぞれがどのような学生を育て社会に送り出そうとしているのかを示しているものです。慶大は学部ごとに入試のあり方と実施に関して責任を持っている点に特色があります。「入試のあり方は各学部が社会に発信する強烈なメッセージである」と言えるのです。各大学・学部で入試方式・形態が多様であることは良いことだと思います。

福澤に始まる「書く」文化と一貫教育校 慶應義塾普通部教諭・福澤研究センター所員 大久保忠宗先生

普通部教諭・福澤研究センター所員 大久保忠宗先生

小論文入試に直結していると言っていいわけではありませんが、歴史をたどると慶應義塾には「書く」文化が育まれた背景があります。福澤諭吉は明治6年ごろから演説の稽古を始め、自分の考えを文章にして人前に示す、つまり言論の力で人々を引っ張っていくことの大切さを知らしめました。当時、福澤は塾に正規の学科として「日本作文」を設置したり、三田演説会を中心に「試文褒賞」という言論を発表する場を作ったりしています。自由民権運動の中心には慶應義塾出身の人物が多くいました。

しかし、明治末期以降は政治や社会思想よりも文学など創作分野の活動が活発になりました。「三田文学会」が発足し、塾から久保田万太郎ら多くの文人を輩出しました。教育では綴り方教育が大正時代に行われた結果、塾生自ら主体となって「書く」活動をしました。一貫教育校では、幼稚舎の文集『仔馬』の元となるもの、普通部では学生有志による会誌がつくられました。書くということが学生の文化の一部で、これは塾生自身が慶應の文化を作った側面でもある気がします。

現在の一貫教育校の「書く」教育について、普通部で言えば入ってからすぐ書く力を必要とする課題が多いです。私は入学してきた1年生に「あなたたちがこれから3年間で伸びる力のうち大切なのは書く力です」と必ず話します。普通部はとても意識して書く力を伸ばします。文集を作ったり、毎週理科レポートを課したりしています。生徒は必死に書かされるわけですが、卒業してから得るものに気付くわけです。また自力自発の作品を作る場である労作展覧会を毎年行います。生徒の中には書いて勝負する人もいます。

AI時代に求められる論理力 「論理エンジン」開発者・株式会社水王舎代表取締役 出口汪先生

株式会社水王舎代表取締役 出口汪先生

慶大の小論文は、資料を正確に読み取れたか、根拠・要点を抑え、そして自分の主張を論理で組み立てていく試験。これからの時代に求められる能力を問う試験になっているため、比較的日本では先進的な試験形式であり、これからの時代も生き残っていくものだと思います。というのも、これからAIの時代が到来することによって、知識や計算は人工知能の仕事となるでしょう。そのため求められるものはAIを使うために必要となる、論理的読解力と想像力、人間性です。よってこれからの教育は学生が論理的に文を読んで知的に考え、論理的に話せるようにするように、論理力を鍛えるものでなくてはならないと考えています。

しかし実際は時代遅れの教育が続いています。論理的に文章を読ませるものではなく、慣れることを重視するような「芸事」としての再現性のない国語教育が行われてきました。本来は論理力は再現性があるものなので、改善しなければなりません。さらに、近年のSNSや漫画の普及による文章離れは、学生が近代文学などを読めない・わからない・面白くないという状態を引き起こし、読解力低下に拍車をかけているのが現状です。日本の国語教育は今、変革が求められています。