慶大が日本に誇る作家といえば必ずこの人の名前が思い浮かぶ――美術評論家・詩人の瀧口修造だ。彼は日本におけるシュルレアリスムの先駆者として活躍するとともに、批評活動や展覧会の開催を通して若手作家の創作を支援した。

東京国立近代美術館(東京都千代田区)では現在、小企画「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」を開催中だ。瀧口と言えば、シュルレアリスム(※注)と結びつけて語られることが多いが、本展はシュルレアリスム展ではない。むしろ「もの」(物質・物体・オブジェ)に焦点を当てて、瀧口や彼が関心を持った作家たちがどのように「もの」と向き合ったかに着目している。

大辻清司《瀧口修造の書斎》1980年(提供)

最初に展示されているのは瀧口の書斎の写真。「もの」が所狭しに並んでおり、雑多な印象を受ける。企画担当の大谷省吾さんによると、「最初に瀧口さんの『もの』に対する関心を知ってから、彼の作品を見てもらいたい」という。

瀧口修造《ドローイング》1960年(提供)

実際に瀧口の作品を見てみると、彼がいかに「もの」と「イメージ」のはざまで生きていたかが垣間見える。読めそうで読めない文字が描かれた作品。万年筆ででたらめに描いた素描。火にかざしてあぶった絵。そして、デカルコマニー。

瀧口修造《デカルコマニー》制作年不詳(提供)

デカルコマニーとは、オートマティスムな表現技法の1つで、紙の上に絵具を塗り、別の紙を重ねて押しつけ、引きはがすことによって幻想的な模様が得られる。作者の意図通りの模様にはならず、むしろ見た人の無意識を反映してさまざまなものに見える。瀧口にとって、デカルコマニー制作は「もの」と向き合いながら、言葉を超越した何かをすくい上げる作業だったのかもしれない。

瑛九《作品D》1937年(瑛久のコラージュ作品)(提供)

展示は瀧口が関心を持った作家たちの作品へとシフトする。セザンヌやアジェなどのフランス作家。瀧口と同時代にシュルレアリスムに傾倒した福沢一郎や浅原清隆。戦後、「実験工房」や瀧口主催の展覧会で活動した大辻清司や加納光於。いずれも独自の視点から「もの」と向き合い、それを表現した人たちだ。身体をバラバラにして組み合わせたコラージュ作品も多数あり、身体を「もの」として扱い、現実を無視した不可思議な世界観が表出されている。

シュルレアリスム美術論を展開した人の中でも、澁澤龍彦はダリやマグリットのような具象系の作家を中心に取り上げたが、瀧口はデュシャンやミロのような抽象系の作家が中心であった。これは彼自身が自動記述を得意としただけでなく、より人間の意識の向こう側を探究しようとしたからであろう。彼にとって「もの」とは手の届かない外部にあり、かつ言葉で捉えようとしてもズレが生じてしまう存在なのだ。

大谷さんは本展について、「予備知識のない人でも興味を持ってもらえるような入門的な展示にしました。あえて解説を少なめにしているので、解説を読むのに没頭するのではなく、観賞しながら作品同士を比べて何かを発見することを大切にしてほしいです」と語る。

「もの」と「イメージ」のはざまで生きること。そこには、ただの紙から現像液で写真を浮かび上がらせるときのようなわくわく感がある。そんな興奮の一端を味わえる展示であった。

(曽根智貴)

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※注:シュルレアリスム

日本語では「超現実主義」と呼ばれ、フランスの詩人アンドレ・ブルトンに始まる芸術運動を指す。フロイトの精神分析理論に影響を受け、夢や偶然性を重視し、無意識を表面化したり、不条理で非論理的な世界を描いたりした作品群が特徴。瀧口修造はブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳し、日本のシュルレアリスムの理論的支柱となった。

瀧口修造と彼が見つめた作家たち

2018年6月19日(火)~9月24日(月・祝)
会場:東京国立近代美術館(東京都千代田区)
時間:10時~17時(金曜・土曜は20時まで。なお、6月19日~9月17日の金曜・土曜は21時まで。入館は閉館30分前まで)
休室日:月曜日(ただし、7月16日、9月17日、9月24日は開館)、7月17日(火)、9月18日(火)
料金:一般500円 大学生250円(※慶大の学生・教職員は学生証または教職員証の提示で無料)