森友学園公文書改ざん問題やイラク日報問題が発覚し、公文書のずさんな管理体制が批判の的となっている。背景には、官僚の政権に対する「忖度」があるという声が聞かれる。現政権下で「忖度政治」がはびこり、「官」が「政」のつじつま合わせに走る要因とは何か。現代官僚制に詳しい東大先端科学技術研究センターの牧原出(いづる)教授の話から、政官関係が必然的に抱える矛盾と、それに対する現政権の対応がもたらす両者間のゆがみを検証する。(構成=広瀬航太郎)

 「政治主導」の弊害 政策決定は一面的

森友学園公文書改ざん問題からは、政官関係をめぐる二つの「ゆがみ」が見えてきました。

一つは、各省庁を巻き込んだ政策論争がなされていない点です。1990年代以降の政治改革で目標とされてきたのは、政権が強くリーダーシップを取ることでした。それまでは、各省庁が省益にこだわるあまり、内閣の大きな方針に従わない縦割り行政に陥っていたためです。

そのような体制を克服し、各省がオールジャパンとして政策論争を行うようになるはずでした。ところが現実では、官邸の一方的な指揮でやや偏った政策が取られるようになった。「官」が「政」を受容するだけの関係になってしまったのです。

もう一つには、人事の問題があります。現在、各省庁の幹部人事権は内閣人事局が握っています。問題は内閣人事局ではなく、人事の評価方法です。官邸、すなわち上からの評価だけで、政権の「イエスマン」が幹部に配置されている。官邸は無理筋の政策を現場に押し付け、森友問題の場合はそれが公文書の改ざんという形で実行されてしまったわけです。

 責任とらない「政」/「官」の不満臨界点に

行政とは、様々な矛盾を抱えながら運営されるものです。しかし、現政権下で「政」は指示を出しても責任は取らない。各省庁の現場では、様々な矛盾が発生していますが、その矛盾を受け止めざるを得ないのが現状です。

その結果、幹部に対する現場、キャリアに対するノンキャリアの不信感が鬱積し、行政府内からリークという形で噴き出ている。政権が今のままでいる限り、また新たな不満が顕在化すると思います。

 グリップ緩めた政権 信頼回復の道は

現政権は、各省庁はもちろん、経済界やメディアなど、各界にコントロールが及ぶようにグリップを強めてきました。ところが、ここに来て求心力が急速に低下しています。

前川喜平前文科次官の講演に対する文科省の介入問題や、福田淳一前財務次官のセクハラ疑惑なども相まって、メディアは一緒くたに政権批判を展開しているとの見方があります。

確かに、安倍晋三首相が放送法4条改正を俎上(そじょう)に載せたことで、テレビメディアが政権批判に回っているのは事実です。しかし、私はそのような報道が「一緒くた」だとは思いません。政権のグリップが緩み、政権を中心に結束していたものが外向きに動き出した状態をメディアは映し出しているだけなのです。

一度グリップを緩めた政権がそれを再び強めることは容易ではありません。例えば民間有識者を含めた会議を開き、問題点を洗い出す姿勢を見せれば、周囲との信頼関係の修復に道が開けるかもしれません。第三者を大臣に登用するという選択肢も当然出てくるでしょう。

同じ体制を5年以上維持してきた現政権に、血の入れ替えが可能かどうか。当座の対応で済ませるのではなく、「政」がどれほど「官」との信頼回復に真剣に向き合うかが、政権の今後を占うと思います。


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