「春はあけぼの……」という、あまりに有名な古典の書き出しがある。「枕草子」では、身の回りの出来事について、その「趣」の深さについて触れられている。平安時代と現代で、共通する感性があるために、現代にまで残っているのだろうか。

「うら」という言葉がある。現代では、悪いイメージで使われることが多い。例えば、裏切りだ。では、なぜ悪いはずのうらを切ることが悪いことなのか。

古語における「うら」は多義語であり、その中の一つに「心」という意味があった。表面上には出ず、裏に隠れているもの。「うら」とは、本心や本音、そういった意味を持つ言葉だった。成程、それならば理解できる。心を切ることは悪いことであろう。人の心を切り捨ててしまうのだから。

こういった「うら」、つまり心を大切にする文化は現代にも続いている。個人の考えや感情が尊重されるべきという価値観は存在する。うらという言葉の意味は変われども、その言葉の元々の意味は今なお失われることなく残っている。その変わらない「うら」に目を向けてもいいだろう。人の感性は大きく変わることはない。自分の心が踊ること、直感で動くことも人生の醍醐味だ。

(藤田龍太朗)