《コミュ障なんか怖くない》日本人はコミュ力不足? 「共感力」が社会を救う

コミュ障なんか怖くない

コミュニケーションが苦手。それを才能がないせいだと感じ、「コミュ障」と自称して諦めてはいないだろうか。

「コミュニケーションは科学」。そう断言するのはコミュニケーション・ストラテジストの岡本純子さんだ。

アメリカでは、「話す」教育が進んでいる。たとえ内向的な人でも、基礎を学べばコミュニケーション能力は上達できるのが常識だ。

学習に加えて、伝わる言葉を選ぼうとする意識や準備があれば、その質は高まる。コミュニケーションは言葉によるものだけではない。ジェスチャーやオーラまでもが含まれる。何かを売り込むならば、ターゲットの心を動かすための情熱がどれだけあるかが鍵になる。

岡本さん自身もかつては人前で話すのが苦手だったという。海外での経験を通してコミュニケーションのルールを学び、「話す」教育の重要性を痛感した。

ところが、日本では読み書きの教育はあっても、話す教育が少ない。生活の中で自分から身につけるしかない日本人は、「言葉にしなくても何となく通じてしまう」日本独特の文化になじみ、積極的に言葉を紡ぐのが苦手になってしまう。人を動かす情熱に関しても、比較的冷めている傾向があると言われている。

最も障壁になるのは、「失敗は恥ずかしい」という考えが強いということだ。失敗する自分を見るのを恐れ、一歩を踏み出すことさえ躊躇する。

萎縮するあまりコミュニケーションができなくなった先にあるのは、「孤独」という状況だ。誰とも話さない、誰とも一緒に行動しない「孤独」は、近年「ソロ充」といったワードに代表されるように、ポジティブに捉えられることがある。しかし、一人でいた方が楽だと言う人も、寂しさからは逃れられない。特に男性は、弱みを見せられないと考えがちな人が多いため、寂しさを抑え込もうとする。「孤独」が肯定される風潮は、行き場のない寂しさを癒したいという、日本人の心の在り方を表しているのだろう。

「コミュニケーションとは、価値共有をしながらコミュニティを作るためのものでもある」と岡本さん。自分が必要とされている場所があることが、生きる意味そのものになる。

価値共有のためには、「共感力」が必要だ。受け手に伝わらない、自分本位のコミュニケーションでは、もはや拒絶されてしまう。メディアの多様化により、面白いと受け手が思うものだけが生き残れる状況は、共感力の時代を象徴している。私たちはそんな社会に生きている。

コミュニケーションは「伝えるための武器」であり「生きるための糧」だ。失敗してもいいじゃないか。相手に伝わるように、という意思そのものが、あなたのコミュ力の第一歩だ。

(杉浦満ちる)


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