「忖度(そんたく)」という言葉が2‌0‌1‌7年の新語・流行語大賞となったことは、記憶に新しいだろう。この言葉の意味は、他人の気持ちを推し量って配慮することだ。政治の世界だけでなく、私たちの日常生活においても当てはまることの多い言葉である。家族や友達に対して、相手のことを配慮するあまり、自分の意見を抑えてしまう瞬間がある。しかし、あまりに自分の意見を抑える瞬間が積み重なってはいないだろうか。自分ではなく、他人を中心にして生を営んでいるということにならないだろうか。

イギリス王立公衆協会(RSPH)は、SNSが若者の精神に与える影響を調査した。その報告によれば、若者の心の健康の問題は過去25年で7割増加しているという。そしてそれはSNSの依存性に関係しているという。他人の投稿を見ることで「自分の生活は他人ほど充実していない、だから自分には価値が無い」という劣等感を生み、うつ状態を悪化させる可能性も指摘している。

このような心は、「他人と自分を比べる」ところから生まれるのだろう。実際、他人と自分を比べることは避けられない。また、コミュニケーションをとるにあたって、他人との位置関係を見定めながら、相手によって態度を変えることも時には重要である。しかし、すべての人に対して「いい人」を演じることはできないのだろう。




同じように、タイムラインに流れるすべての投稿に「いいね」を押すことはできない。かつ自分の投稿したすべての投稿に「いいね」がつくこともないのだ。他人の目を気にして自分の意見を抑え、一喜一憂することは、余計なエネルギーを消耗していることのように思える。実生活でも同じようなことが言える。すべての意見や発言に対して、完全に同意してくれる他人などいないのである。

では、私たちは他者とともにどのように生きていけばよいのだろうか。この問いは、生涯における難問だろう。できれば他人に「優しい」人でありたい。しかし「優しい」とは、他人に「忖度」し、すべての投稿に「いいね」を押すことではない。