日本人にとって、「移民」とは馴染みがあるようでない言葉だ。就労目的での海外移住者、中長期在留者、特別永住者など、その線引きが曖昧なままに、メディアによって「移民問題」が語られているという現実がある。

政府統計によると、昨年の日本における外国人労働者数は1‌0‌8万人と、過去最高を更新した。労働市場の外国人依存が高まる中、事実上の単純労働者は増え続けている。見て見ぬふりの姿勢こそが、「移民」に対する理解の曖昧さに繋がっている。

外国人移住者、または外国人を親に持つ人が国民の5人に1人を数えるドイツでは、「移民」はどのように捉えられているのだろうか。ハンブルク州の難民キャンプでドイツ語を教えるルディガー・ローベルさんに、「移民問題」との向き合い方について話を聞いた。
(構成・広瀬航太郎)

「移民」に政治を持ち込むな

私には、ドイツ人であることを誇りに思えない時期がありました。

ドイツ北部の港町・キールに生まれたのが、1‌9‌5‌5年。第二次世界大戦の爪痕は、まだ街並みにしっかりと刻み込まれていました。人々が戦争への反省を口にするのを聞くたび、胸が苦しくなりました。

転機は20代後半で訪れました。留学先のテキサスで目に留まったのは、置かれた場所で誇り高く生きる移民の人々の姿でした。その時気付かされたのです。ドイツ人だって、焼け野原から再出発を果たしたじゃないか、自分がこれからのドイツの担い手になるのだ、と。私自身、移民として人生の再出発を切ることができたのです。

2‌0‌1‌5年、ドイツは新たに約1‌1‌0万人の外国人移住者を受け入れました。コンテナ型の難民キャンプが設置され、ハンブルクの風景も変わりました。州が難民にドイツ語を教えるボランティアを募集していると聞き、25年間勤めた学校を辞めて、直感的に手を挙げました。

難民にドイツ語を教え始めて、確信しました。多くのメディアは、「移民」を政治的な文脈で語ろうとしますが、それは間違っていると。私がドイツ語を教えたシリア人、エリトリア人、ソマリア人の生徒たちは、戦火や迫害を逃れ、ただ、生きるためにドイツに来たのです。彼らが生きるための場所を奪うなんて、私にはできません。

現在、ドイツでは、難民は無償でドイツ語教育を受けることができます。この制度があれば、彼らが将来ドイツで安定した職業に就けると私は断言します。そうして私たちが現制度を支えるために納めている税金は、いずれ私たちに還元されるとも。

ドイツ語には「weltoffen」という言葉があります。私たちは皆、互いに生かされている。周りの世界に対して開放的であることを忘れてはならない、という意味です。教育は「weltoffen」です。教え、教えられる関係によって、互いへの敬意が生まれる。 ドイツ人も、外国人も、誇りを持って暮らせる社会が、今のドイツのあるべき姿だと私は信じています。