5月号より選者を務める本井氏
5月号より選者を務める本井氏

明治23年(1892)、陸羯南により創刊された新聞『日本』の文芸欄に正岡子規が俳句を投稿した。これが新聞と俳句の初めての出会いだ。
慶應塾生新聞では、来月、5月号より「慶應俳壇」を連載していく予定だ。その主な目的は、俳句を通して芸術文化の振興を図ること。具体的な内容としては、毎月、俳句の応募を募りそれを本井英氏に選句していただき選評を添えて掲載していく。選者が選ぶ句は各自5句とし、1句を特選、4句を入選とする予定だ。そこで今回は、今後選句していただく本井氏に俳句について話を伺った。
本井氏は、中等部から慶應高校へと進み大学で国文学を専攻。高校時代には、義塾出身の俳人・清崎敏郎氏に師事し、その後、星野立子氏、高木晴子氏に師事した。大学では、松尾芭蕉についての研究をまとめた「芭蕉七部集」の卒業論文を作成し、大学院博士課程国文学専攻を修了し、国語科の教員として志木高校に35年間勤務。現在は、日本伝統俳句協会会員、俳人協会幹事を勤める傍ら、慶大俳句研究会の指導も行う。
まず、俳句を考える際に短歌と類似する印象を受ける。では、両者の相違はどのような点だろうか。「俳句は、季題(季語)を基調に言葉の過去や伝統を重んじるもの。それにより言葉がもつある種のアイデンティティを未来へ繋げていく。また、俳句を創ることが自然とコンタクトをとるためのツールであり、自然との道筋を切り拓いていくもの」。つまり、俳句は詠み手、聴き手、自然の三者の間で言葉の共有を図っていく試みであり、言葉を用いて日常の何気ない生活を微視的に捉え表現していくことである。
その一方で、短歌はどうだろうか。「短歌は俳句と異なり詠み手の今現在の主張が強く反映される。俳句より14文字多いため、そこに詠み手の主張を集約する」。だが、俳句と異なり短歌の場合、言葉の伝統を重んじたりすることはないのが特徴だ。季題と向き合っていくことで、生命をもった自然とコミュニケートしていく点が俳句の魅力であり、やりがいでもあると本井氏は言う。
西村和子氏や行方克己氏など慶應義塾で俳人が多い理由について、「清川敏郎氏や遠藤若狭男氏などのように後輩に対して面倒見が良い方が多いことで、伝統を引き継ごうとする傾向が強い」と分析する。
最後に新入生に向けて、こう語ってくれた。「日本人の自信を深めていくために、地道に足元をしっかり見定めていくこと」そして、「安直に流行ものに従事していくのではなく、独自性をもっていく必要がある」。
今日、叫ばれている世界の公用語として英語が浸透し、英語学習の早期化などに象徴される一方、母国語として日本語への関心が薄れているように思える。だが、日本固有の伝統文化である俳句という視座にたつことで日本語の美しさ、ひいては言葉のもつ力が垣間見れるはずだ。      (御園生成一)

○応募先
keio.haidan@gmail.com
または〒108-0073 東京都港区三田3-2-1 弓和ビジデンス511

○新入生へのメッセージ
入江で得べきは   本井英

川下り来し若きら、今、入江に船出せんとす。岬を回れば怒濤の大海待つ。ここにて羅針盤鍛うべし。日本を知らんとすれば俳句を学ばざるべからず。