慶應塾生新聞会 三田オフィス
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スケート部フィギュア部門 庄司理紗さん

厳しい寒さが強まる一方で、シーズンスポーツの人気は勢いを増す。冬季ならではのスポーツのひとつ、フィギュアスケートは、世界大会で日本人選手が多く活躍し、今や我が国の得意競技と言えるだろう。そんな日本人の代表として活躍した経験を持つ、体育会スケート部フィギュア部門所属の庄司理紗さん(総2)にインタビューを行った。

庄司さんがスケートを始めたのは6歳の時。「明治神宮のリンクの前を通るたびに『スケートって何?』と母に聞いていました」。小学校受験を控えた庄司さんは、フィギュアスケートについて詳しく知らなかったという。合格発表の帰り道、スケートを始めたいと、抱いていた思いを母に告白した。一度リンクで遊んでみたら飽きてしまうだろう、という母の考えとは裏腹に、スケートの楽しさを味わった庄司さんは、スケート教室に入会した。「はじめは転んでばかりだったけれど、本当に楽しくてずっと続けたいと思いました」。小学校の授業が終わると、帰り道に母から荷物を受け取り、リンクへ通う生活が始まった。

小学2年次からは大会にも出場。2、3歳でスケートを習い始めたライバルが多いなかで、6歳とスケート開始の時期が遅かったものの、めきめきと実力を伸ばした。中学2年の時には、全日本選手権で5位という好成績を残した。「全日本選手権は大物選手が多く出場していて、私のフリースケーティングの滑走順は、浅田真央選手と安藤美姫選手の間だったのを覚えています。当時は極度に緊張しました」と振り返る。

ショートプログラムで4位に入り、フリースケーティングでは最終滑走グループに加わった。浅田選手の演技後にリンクで身体慣らしをしていると、浅田選手のファンがリンクに投げる花が、庄司さんに当たった。その瞬間に、自身も日本のトップ選手たちと同じ、最終グループで滑るのだという実感が湧いてきたという。

中学3年で出場したユースオリンピックが一番印象に残っていると話す庄司さん。日本選手団の一員として公式スーツに身を包み、冬季ユース五輪開催地のオーストリアへ向かった。世界的な大会の出場に加え、選手村では他の競技の日本代表とも交流でき、貴重な経験ができたと語る。高校2年次には、アメリカのコロラド州に1年間滞在し、アイスショーや試合の度に一時帰国しながらスケート漬けの生活を送った。

ここまで順風満帆の庄司さんであったが、高校2、3年次は相次ぐけがに苦しんだ。足の指を疲労骨折し、痛み止めを服用しながら出場した大会もあったという。「日本の代表として選んでいただいている以上、何としてでも試合には出場しようと思っていました」。担当の医師からは運動を控えるように診断されても、アイシングや固定をして痛みを少しずつ和らげ、日本代表として氷上に立つことを諦めなかった。

大学入学後は体育会スケート部フィギュア部門に入部。クラブチームにも通っており、現在は週に6回のリンクでの練習に加え、筋トレにも励んでいる。そんな庄司選手の趣味はパズルと小物のデコレーションと数独。一人で黙々と続けられる作業が好きなのだという。集中力を切らさずに長時間のスケート練習に励めるゆえんだろう。また、食べることが好きだという庄司さん。アスリートとしての栄養摂取は不可欠だが、体型維持のために糖分の摂り過ぎには注意しているそうだ。

庄司さんは大学卒業と同時に、自身のスケート人生にもピリオドを打つと決めたという。引退までに出場する一つ一つの試合でベストな滑りができるようにしたいと今後の抱負を語った。

アスリートとしてのオーラを放ちながらも決して飾らない、温厚柔和な庄司さん。残りの貴重な学生生活で風雨もあろうが、彼女にとって理想的な氷上の演技ができるように、と強く願う。
(三谷美央)