「内容だけで良いならば印刷された本は必要ないわけですが、それだけではない魅力がある」
 
古書店「かげろう文庫」店主にして神田古書店連盟で広報を務めている、佐藤龍さんは語る。紙の本など時代遅れだと言う人もいるが、その考えは甘い。長く生き残っている「古書」という視点から考えれば、本の真価が見えてくるかもしれない。
 
古書は大まかに、いわゆるリサイクル品である古本と、簡単には手に入らない希少書籍とに分類される。多くの古書店では厳選された後者を扱う。かげろう文庫も、美術資料や写真集、画集などデザイン関連の希少書籍を専門とする。

かげろう文庫店主 佐藤龍さん
かげろう文庫店主
佐藤龍さん
情報を記録する、という視点ではデジタルコンテンツでも事足りるが、それでは他の価値を継承できない。古書には本の
「内容」以外にも見落としてはいけない価値がある。一つは「歴史的価値」だ。初版本は貴重だという話はよく聞くが、それ以外にも、そのときでしか成しえない情報が詰め込まれている場合がある。例えば、戦前の日本には検閲制度があり、制限された中で生まれた本には当時の世相が強く刻まれている。歴史的に重要なものでも、まだ電子化されていない本は多い。
 
もう一つは「美術品的価値」だ。装丁やフォント、紙の質など、本が出来上がるまでには大変な労力がかけられており、絵画や彫刻と同じく芸術としての価値が表れる。美術品に贋作があるように、本にも「偽書」が存在するほどだという。
古書店は主にオークションで本を仕入れる。落札記録によって相場が決まるが、常に記録を網羅できるわけではないので、見極めにはやはり知識と経験が一番大切になる。古書店には選び抜かれた本が並んでいるわけだ。
単に「情報」を得るために本を用いる人は減っている。インターネットで検索する方が楽だからだ。
 
しかし紙の本こそ、情報化社会では優秀な記録媒体だ。誰でも発信ができるネットにおいて、情報の信用性を確かめるのは難しい。
 
「学生は情報の質を問い直してほしい」と佐藤さんは言う。「情報から何かを判断するとき、ある程度努力した方が良い結果に繋がるはずです」。情報の発信源の確かさという点で本は電子データに勝る。複数の本を比較したり、時代ごとの記述の変化を整理したりすることで、考え、判断する力が身に付くのだ。
 
一方で、大学の教科書さえ信じないほうが良い、と耳に痛い言葉もいただいた。指定された一冊だけを鵜呑みにするだけでは成長がない。「書かれている『それ』が事実であるかどうか、自分で検証して考えるのが一番の勉強なのかなと思います」
 
私たちは、本当の意味で勉強をしているのだろうか。自信を持って肯定するためには、本は不可欠なツールであるはずだ。
(玉谷大知)