~世界に発信される「自分」 Twitter・Facebook・Instagramなど、SNSが起爆剤に~


「ハロウィン」に変化が

ハロウィン圧縮
思い思いの仮装をした子供たちが家を訪ね「トリック・オア・トリート」と声をかける。ハロウィンという行事をこのように認識している人は多いだろう。





その一方で、近年の日本のハロウィンでは、若者が仮装をして渋谷などの街中に繰り出す光景が見られるようになった。普段ならばできない化粧や服装で写真を撮る、食事をするなど、それぞれが「ハロウィン」を楽しんでいる。特に昨年のハロウィンはこれまでなかったほどの盛り上がりをみせ、メディアで大きな注目を集めた。

文化の変化はもはや当たり前

この「ハロウィン」は海外のそれとは似て非なるものである。しかし、海外で伝統的に行われているハロウィンの起源について述べたり、ハロウィンが本来持つ文化的意味についてここで考察したりすることはもはや無意味であろう。日本人は、クリスマスやバレンタインデーなど、もともとは日本の文化ではなかったものを多く受容してきた。それらが、本来の習慣や意義とは全く異なるものに変化していることは珍しいことではない。

背景にはSNS

では、なぜ今ハロウィンなのか。これは近年のSNSの変化と無関係ではないだろう。これまでのSNSでは、すでに知っている人と交流、楽しむことがスタンダードとされていた。実際に、TwitterやFacebookで別のユーザーが紹介されるときも「あなたの知り合いかもしれません」と言われるのである。

ところが最近では、SNSで交流している相手はどこの誰かも分からないということが当たり前になってきた。共通のアーティストのファン同士でインターネット上に集い、曲の感想やテレビへの出演情報などを共有する。絵を描くことが趣味の人たちで、互いのイラストを見せ合う。これらは、今となっては珍しくもない光景だ。

さらに、文字以外の情報が身近になったことも変化のひとつだ。今となってはSNSに写真を投稿するのはごくありふれたことで、Instagramのような画像に特化したサービスも市民権を得ている。

渋谷の街に「ゾンビ」や「ミイラ」がひしめき合い、本来のハロウィンの趣旨とは何ら関わりのないアニメのキャラクターまでが闊歩する光景は、ビジュアル面で大きなインパクトがある。参加者は自撮りをしてInstagramにアップロード、クオリティの高い仮装は見ず知らずの人によってTwitterに写真が投稿される。こうした画像はハッシュタグによって容易に検索することができ、話題になれば転載されて、さらに拡散される。

もちろん仲間たちと共に仮装をして街で遊ぶのが楽しい、というのが前提にあるのだろうが「いつもと違う自分の写真をSNSでみんなに見てもらいたい」「同じイベントに参加した人たちとネットで楽しみを共有したい」という心理が働いているような気がしてならない。

日本人特有の同調願望

毎日学校に通ったり仕事に行ったりしていれば、たまにはいつもと違う自分に変身したい、という願望はあるだろう。「日ごろと違う自分をみんなに見てもらいたい、けれども人と違うことをするのはためらわれる」「変わったことをしたいが周りと同調していたい」。こうした人々の思いと、近年のSNSの特徴が合致し、このような新たな「ハロウィン」を生んだ、とも考えられないだろうか。

今年もハロウィンの日の渋谷駅では仕事帰りの会社員、野球観戦を終えた大学生、そしてそこにゾンビやミイラが入り混じって同じ電車に詰め込まれていくだろう。ある意味では「日本らしい」光景なのかもしれない。
(安田直人)