リーダー、それはあらゆる組織に存在する。リーダーにはリーダーシップが求められ、上に立つものとしての困難が伴う。今回、慶應義塾体育会の主将という責任ある大役を1年間務め上げたアメリカンフットボール部の三津谷郁磨前主将とソッカー部の増田湧介前主将に、主将としての1年間を振り返ってもらった(記事中、敬称略)。        
(増田絢香)

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主将を務めた三津谷さん(左)と増田さん(右)
主将を務めた三津谷さん(左)と増田さん(右)

主将としての責務
  
―主将になった経緯は
三津谷 
入部した時点から将来はチームを引っ張っていく存在になりたいう思いが漠然とあった。それが果たして主将という形なのかは分からなかったが、上の代の主将を見てきて、少しずつ自分の中で主将としてチームを引っ張っていくというイメージが具体的に膨らんできて、立候補することを決めた。周りの人達も部内における自分の3年間の取り組みを見て、任せてくれた。

増田 
小学校から中学校、高校にかけて、ずっとキャプテンや主将を経験してきた。大学でも主将を務めたいと思い、立候補をした。

―主将就任時の意気込みは
三津谷 
3年生の時に、約60人の1年生を指導していく役割を務めた経験から、リーダーのあるべき姿を学び、覚悟を固めてきた。いざ4年生になった時には、やるしかないなと思った。

増田 
慶應ソッカー部は伝統ある部活だが、近年なかなか結果が出せていなかった。なので、このチームを日本一にし、「伝統校」から「強豪校」にしてやろうという強い思いがあった。

―主将をやる中で大変だったことは
三津谷 
主将として自分のキャパシティーを広げていかなければならなかった。自分が下級生の時は主として自分自身の成長に力点を置いていたが、主将になってからは自分のことだけでなく、これまで以上にチーム全体のことを考える必要があった。チームのために使う時間が増えたことで、個人の成績が少し物足りないと感じることもあった。個人とチーム全体、両者を両立させるのは想像以上に大変だった。

増田
ソッカー部は昨年度から戦術を大きく変えた。シーズンの前期は結果を出すことができた。しかし後期に入ると、その戦術がなかなか結果に繋がらなくなった。そんな時はチームメイトからは戦術を疑問視する声が上がることもあった。納得させようとしても、結果で示すことができなければ説得力に欠ける。そういった、結果が出ない苦しい時期でも、主将として前向きにチームメイトに声掛けするよう心がけた。

周りとの連携の大切さ

―主将の経験から学んだことは
三津谷 
慶應アメリカンフットボール部は「Do the right things」を理念にしている。その理念を、主将である自分が特に率先して実践してきたことで成長を実感することができた。また、主将という立場を経験して、色々な人と密にコミュニケーションを取っていくことの大切さを強く感じた。チームを一つにまとめるためには、練習内はもちろんのこと、練習外におけるコミュニケーションが重要になってくる。100人を超える部員を1人の力だけでまとめ上げるのは困難なので、下級生のリーダーなどと協力し、チーム全体が意識的にコミュニケーションをとるよう働きかけていった。結果として、みんなが色々なところで積極的にコミュニケーションを取り合ってくれたと思う。

増田 
副将を務めていた頃は、自分が中心になってやっていこうと張り切りすぎていた部分があった。自分ができないことまでもやろうとしてしまったことで、試合にも出られなくなってしまうほど調子を落とした時期もあった。責任ある立場だからといって、自分で何でも抱え込んでしまうのは良くない。自分があまり得意でない分野はそれが得意な人に任せ、自分は得意な部分を全力でやれば良い。自分は人に強く主張するのが苦手な性格。周りも自分のことを理解してくれ、サポートをしてくれた。

―新体制となったチームへ
三津谷 
2年前に新しいヘッドコーチが就任し、戦術が変わった。いろいろと試行錯誤しながら、この2年間でチームは新戦術の本質的なところまで理解できたと思う。その戦術を活かして、ぜひ日本一になってほしい。

増田 
自分たちの代で、「強豪校になる」という目標へまた一歩近づけたと思う。しかし、自分達と同じことをやれとは全く思っていない。リラックスして、今いる選手たちがやりやすい環境を自ら作ってほしい。そして、日本一になってほしい。

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主将という責任ある役目に伴う様々な困難を乗り越え、成長を感じていた2人。自らの信念や熱い想いを貫き、そして周りを巻き込んでいく。学ぶべきリーダー像がうかがえた。