「日本語は難しい」と言われる。たしかに、漢字仮名交じり文など、いつからたやすく読み書きできるようになったのだろう。これほどまでに独特な言語は、きっと、ここ日本という島国でしか使われていない。誰もがそう考えるのではないだろうか。

しかし驚くべきことに、日本語を受け継ぎ、村全体で使い続けている民族が存在する。彼らの正体は、台湾に住むタイヤル族である。彼らは中国語、タイヤル語も使用しているが、高齢の村民は流暢な日本語を話し、伝承している。なぜ、高齢のタイヤル族は日本語に慣れ親しんでいるのか。

時は1895年に溯る。これは日本が台湾の統治を始めた時代だ。台湾人であるサイ・コンサン氏の著書『台湾人と日本精神』(2001年小学館より発行)によれば、台湾は植民地ではなく内地の延長と見なされ、教育面、衛生面などで日本から多大な貢献を得ることになったという。結果的に台湾での就学率は上昇し、経済的にも自立することができた。このような日本統治時代に台湾人は日本語を身に付けたという過去がある。

ところが第2次世界大戦後、台湾は中国に接収され、台湾人は中国人からの差別、迫害に苦しむ中、公用語であった日本語の使用も禁止されてしまう。代わりに北京語を公用語として指定されたものの、従来の知的財産へのアクセスも不可能となり、社会的停滞を招いた。日本語を知らない世代が増えていく。そのような中で、タイヤル族が日本語を守ったのは、これが、唯一の他部族との共通言語としての役割を果たし続けたからである。さらに、話し言葉として発達したタイヤル語には約25年前から文字が誕生したのだが、その文字は平仮名、片仮名、数学記号で構成されている。

「台湾は親日」と言われる。東日本大震災後、台湾から最も多くの義捐金が贈られ、日本の民間人が台湾紙上に感謝広告を掲載したことは有名だ。しかし現在、公用語としての日本語は姿を消した。その一方で、一部族の村ではひっそりと受け継がれていたのである。日本と台湾の絆が生まれ、深まってきたのは、実にさまざまなストーリーが織り込まれた結果であるということが分かるだろう。

 

(成田沙季)