【500号Project 伝‐慶應の足跡‐】俳優・歌手 中村雅俊さん

あなたは「伝」という漢字に何を思うだろうか。伝達、伝説、伝統…。今年7月に迎えた塾生新聞500号を記念して、「伝」をテーマに社会で活躍されている慶應義塾に所縁ある人物に焦点をあてていく。12回目の今回は「俺たちの旅」「夜逃げ屋本舗」など数多くの作品に出演し、俳優・歌手として活躍する中村雅俊さんだ。

1951年生まれ、宮城県女川町出身。慶應義塾大学経済学部卒。大学在学中、文学座付属演劇研究所に入所。1974年、NTV「われら青春!」の主役に抜擢されデビュー、挿入歌「ふれあい」で歌手デビューし、売り上げが100万枚を超える。今までに連続ドラマ33本を含め、主演作品は100本以上。歌手としてもコンスタントに曲を発表し、デビューから毎年行う全国コンサートツアーも1400回を超える。7月に歌手デビュー40周年記念アルバム「ワスレナイ 」を発売。9月から40th Anniversary Tour ~ワスレナイ~を開催中。
1951年生まれ、宮城県女川町出身。慶應義塾大学経済学部卒。大学在学中、文学座付属演劇研究所に入所。1974年、NTV「われら青春!」の主役に抜擢されデビュー、挿入歌「ふれあい」で歌手デビューし、売り上げが100万枚を超える。今までに連続ドラマ33本を含め、主演作品は100本以上。歌手としてもコンスタントに曲を発表し、デビューから毎年行う全国コンサートツアーも1400回を超える。7月に歌手デビュー40周年記念アルバム「ワスレナイ
」を発売。9月から40th Anniversary Tour ~ワスレナイ~を開催中。

百人百通りの感じ方

運命は自ら決められるところと決められないところがある。振り返れば、学生時代に夢のまた夢だと思っていた歌手デビューや、ハリウッド映画への出演、ニュース番組の出演など、これまで思いがけないことの連続だった。

大学入学当初は外交官を目指していた。英語を勉強しようと考え慶大英語會に入部し、芝居への漠然とした憧れからドラマセクションを選んだ。2年生の頃から本格的に芝居に興味がわき、3年の終わりに文学座附属演劇研究所を受験した。倍率40倍の難関をくぐり抜け、4年次は文学座の研究生として過ごし、卒業と同時にデビューを果たした。

歌手としての原点は高校時代にある。高校3年生の時に部活の合宿でギターの演奏を披露したのがきっかけだ。大学時代には80曲あまりを制作し、200人規模のコンサートも数回開いた。

デビューから今年で40年。自分の中に伝えたいメッセージはあるが、受け手にその思いを感じ取ってもらうことを強要しない姿勢は変わらない。

「デビューした頃はどう見てほしいという意図があらわになっていた。受け取り方は自由でよいと思いながらも、ここで泣かせてやろう、という気持ちを演技にはっきり出していた」。

しかし、「全員が伝えたい内容をわからなくてもいいのではないか」とふと思うことがあった。それからメッセージは極力口に出していない。「メッセージは常にある。けれども伝えることは答えのない作業だ。自分では失敗だと思っても、ある人には伝わることもある」。百人の受け手がいたら百通りの受け取り方をしてほしいという思いにぶれはない。

一方で自分の考えをはっきり言葉にしなければならない時もある。1年ほどレギュラー出演したニュース番組では、自由に表現できる演技や歌と異なり、限られた時間で自分の言葉で想いを伝えなければいけない新たな挑戦だった。

「演技や歌でまだまだ百点は取れていない。特に芝居は出来上がりを客観的に見られるから辛い」。ずっと続けてきた演技でも、自分の中の正解になっていないことがある。歌も自分の気持ちを最大限歌っているつもりが、冷静に見ると違うことがあった。しかし、その度にまた頑張ろう、より良いものを作ろうと意気込んできた。

自分の本当にやりたいことを見つけた時、人にはパワーがある。そして乗り越えた先には言葉で言い表せないものがある。「ベストという言葉は、自分の限界に線引きしているあいまいな言葉であまり好きではない」。一度覚えた台詞でも、繰り返し練習することで自分のものになる。芝居の幅が広がる。自分の中のベストは決めず、しかし自分の最大限に近づけるように仕事を続けている。「若い世代にも、たとえ漠然としていてもやりたいことがあるなら、それに向けて真っ直ぐ努力してほしい」。 (阿久津花奈)


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