1948年、名古屋市生まれ。72年慶應義塾大学文学部卒業後、徳間書店に入社。『78年アニメーション雑誌『アニメージュ』の創刊に参加。副編集長、編集長を務めるかたわら、『風の谷のナウシカ』(84年)、『火垂るの墓』『となりのトトロ』(88年)などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。以後、『もののけ姫』(97年)、『千と千尋の神隠し』(01年)など、『風立ちぬ』(13年)までの全劇場作品及び、三鷹の森ジブリ美術館(01年開館)のプロデュースを手がける。また、07年からはTOKYO FM「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」のメインパーソナリティを務める。

言いたいのは、これ

世界的に有名なスタジオジブリを初期から支えてきた鈴木敏夫という男がいる。彼は慶應義塾大学文学部を卒業した塾員であり、プロデューサーとしてジブリ作品の多くに関わってきた。今夏7月19日に公開予定の新作『思い出のマーニー』ではジェネラルマネージャーとして携わっている。

彼は大学を卒業後、出版業界に身を置き、『アニメージュ』といったアニメ雑誌などを手がけた。その後、宮崎駿、高畑勲両監督との邂逅で徐々に出版業から遠ざかり、プロデューサーとしてスタジオジブリを世界的なアニメスタジオへと成長させた。そんな鈴木氏が疑問を投げかけるのは、新聞・テレビ・インターネットなどさまざまなメディアで溢れる現在だ。

私たちは多くの情報を簡単にそれらのメディアによって得ることが出来る。しかし、溢れ返る情報にリテラシーを持ち、必要を選択できているのか。彼が今伝えたいと説くのが、その「必要」だ。

鈴木氏の学生時代は新聞とラジオで必要な情報を得られた。「楽だった」と鈴木氏は言う。しかし、メディアの量が増えればその受け手は分散する。テレビの視聴率低下や新聞離れ、その理由は多すぎるからだ。「人から人に伝える手段がものすごい増えちゃった時代」と鈴木氏が言う通り、過剰なメディアで溢れる現代に私たちはその「必要」を見失っているのではないか。

そこで鈴木氏は私たちに「本当に必要なもの」だけを持てば良いと語る。では「本当に必要なもの」とは何か。それを彼は衣食住に求める。「当時、目の前にあったのは衣食住。余計な付加価値のあるものは一切なかった」と語るように衣食住こそが本当に必要なものなのだ。そして当時を振り返り、引っ越しという例を鈴木氏は挙げる。

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起きて半畳、寝て一畳

今日の引っ越しは、業者を雇うか、車を使うなどして、必要に関わらず持っているものを持っていく。それに対して、鈴木氏の学生時代の引っ越しは電車で行った。友人を二人集め、身軽に、手軽に必要最低限のものだけを持てば良かった。「プラスαがない」当時の引っ越しは、衣食住があれば事足りたのだ。

その当時を鈴木氏は「起きて半畳、寝て一畳」という慣用句で表現する。「そんだけのスペースがあれば生きていける」時代に、「そこに置けるものだけしか持っていない」のが当時の学生だった。この引っ越しという視点から見えるのは、現代が豊かさと引き換えに地に足のついた生活を失っているということだ。昔は何が必要か容易に見極めることが出来た時代だった、と鈴木氏は振り返る。

就職においても当時と今に違いを感じると言う。鈴木氏の学生時代はマスコミを始めとするメディア業界に就職先は集中していた。もちろん、今日でもマスコミの人気は高いが、以前なら目もくれなかったアパレルや食品業界も人気が高いことは大きな違いであると言う。なによりも付加価値を求める今日において、衣食を満たす業界の人気は、時代が一巡りしたと鈴木氏は感じていた。

この時代の変化は一面的なものなのだろうか。時代が巡るものならば、今日のルームシェアの流行は、鈴木氏が過ごした「四畳半」生活への回帰かもしれない。今も昔も共同のトイレとキッチン、そして四畳半のスペースさえあれば生活の必要は満たされる。

さらに、このような変化はメディアにも当てはまる。将来的にメディアは淘汰されると鈴木氏は予想する。「テレビって一日24時間やると皆思っている」が昔は違った。当時の視聴者に必要とされたのは朝と夜のみの放送だった。時代が巡り、必要を伴って放送された当時に戻ってもおかしくない。

豊かな時代において私たちは多くの「必要」を選ぶことが出来る。それでも、人が必要とするものは変わらない。いつの時代でも必要最低限こそが最も価値あることではないか。贅沢は慎むべきであると説く「起きて半畳、寝て一畳」の慣用句を題したのは、鈴木氏だ。彼が今伝えたいことはこの一言で事足りる。 (中澤元)