「春眠暁を覚えず」ならぬ「春読暁を覚えず」。うららかな陽気に誘われて眠るばかりではせっかくの大学生活がもったいない。慶應塾生新聞会では5月12日から31日まで日吉・三田キャンパスの生協書籍フロアにて書籍紹介フェアを開催する。本紙がこれまでに取材した著名人や慶大の教授の著作、および本会員の薦める書籍が主なラインナップだ。ぜひ手に取り、貴重な学生時代の糧としていただきたい。ここではその一部を紹介する。

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未完のファシズム
慶應義塾大学法学部教授 片山杜秀著

■『未完のファシズム』片山杜秀著、新潮社選書刊、2012年

大和魂を考える一冊

慶應義塾内で有名な授業といえば、片山杜秀教授の授業がある。近代思想を専門に研究する片山教授は『歴史』、『人文科学特論』などの授業を開講しており、その内容はとても濃密だ。そんな片山教授の書籍である『未完のファシズム』は、タイトルからもわかる通り、第二次大戦中の思想の解説本である。

表紙とタイトルからは一見とっつきづらい雰囲気をかもし出しているが、いざ読んでみると柔らかい文体でとても読みやすい。本書によれば、第二次世界大戦中、日本の軍人たちは極端な精神主義を唱え、ファシズムに突き進んだ。その背景には、第一次世界大戦で調子づいた「持たざる国」日本が、「持てる国」と戦争を行うがために、ファシズム的体制を敷かなければならなかったのだ。だが、そのファシズムは、他国のそれとは違い、日本人ならではのいわゆる「未完」のファシズムであった、という。

本書の分析は日本人特有の「根性論」にも当てはめることができそうだ。全国の野球部を見てほしい。「坊主にしないなんて根性が足りない」。前の試合で何球投げていようが、「気合で投げろ」と言う監督。こんな例はいくらでもある。そういった日本人の精神至上主義は70年前とまさに同じだということを痛感する。

「若者の右翼化」という言葉を最近聞くようになった。一部の新聞では、他国を煽るような見出しも頻繁に登場する。右翼、ファシズムという単語は思っているよりも私たちに身近な存在になりつつあるのかもしれない。本書を読むことで今一度、日本人の精神を再考するのも面白いだろう。 (在間理樹)

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風に吹かれて
スタジオジブリ代表取締役 鈴木敏夫著

■『風に吹かれて』鈴木敏夫著、中央公論新社、2013年

振り返るジブリのこれまで

この本は『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』が公開されたのと同時期に出版された。『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』はジブリ史において一つの節目となる作品だ。そしてこの節目にジブリのプロデューサーである鈴木敏夫氏が本を出したことには大きな意味がある。

この本の形式は対談で、聞き手である音楽評論家・編集者の渋谷陽一氏が、鈴木敏夫にインタビューしたものだ。内容は、鈴木氏の生い立ちから今までが第一章で語られ、第二章ではジブリについて断章で語られるというものだ。渋谷氏は鈴木氏の良いところを知っている。彼の良さは独特な語りだ。文章にしてしまうとその独特な雰囲気は死んでしまう。それを殺さない方法は対談形式が良い。

この本で最も印象に残ったのは「僕が見たいから」という一節だ。鈴木氏がジブリで宮崎駿氏、高畑勲氏とともに作品を作り続けてきた姿勢はこの通りなのである。なぜ彼らに映画を作らせたかったのか。「だから、それを見たかったんですよ。で、たぶん、僕が面白いと思うことをお客さんにも共有してもらいたいっていう、それですよね」と鈴木氏は言う。彼は宮崎駿、高畑勲という風に吹かれて楽しんでいるのだ。

本のタイトルにある「風」はジブリに欠かすことの出来ないものだ。「ジブリ」という名はサハラ砂漠に吹く熱風に由来する。さらにジブリと言えば、宮崎アニメであるが彼の映画を振り返ってみれば、第一作目が『風の谷のナウシカ』であり、彼の引退作は『風立ちぬ』だ。宮崎駿は風に始まって風に終わったのだ。

そんなジブリという風の起点をいつも見守ってきたのが鈴木敏夫氏だ。作り手に寄り添い、作り手という風に吹かれてきた彼だからこそ、ジブリについて多くのことを語りえる。盟友宮崎駿氏引退から一つの節目を迎えたジブリだが、この本を読んだとき今後のジブリに更なる期待を持てる。鈴木敏夫氏が見たいと思う限り、風は吹き続けるのだから。 (中澤元)