何十年に一度の津波を風化させないために

三陸地方には過去120年の間に4度の大津波が押し寄せた。だが、いつ来るかわからない大津波の記憶はいつか風化してしまう。「津波到達地点に桜を植えることで、津波から避難するための今後の目印になり、犠牲者を少しでも減らすことができるのではないか」。そのような思いから岡本翔馬さんは桜ライン311を立ち上げた。2011年10月に設立されて以来、161か所で約650本の桜を植えてきた。現在は春と秋の年2回で植樹を行っており、最終的には約1万7000本の桜を植える予定だ。

元々このプロジェクトには、桜の植樹を通して津波の犠牲者を追悼する目的があった。今ではそれに加え、植樹活動を多くの人に知ってもらい、日頃から災害に備える必要性を伝えることや、最終的には桜並木が新たな観光資産になることにも期待している。住民の方はもちろん、全国から植樹に参加してもらうことで、「苗の成長とあわせて街がどのように変わっていくかも見てほしい」と岡本さんは願う。

桜の木を植える参加者たち

岡本さんは陸前高田市の出身だが、震災発生時は東京で暮らしていた。震災の発生直後から2週間のあいだ陸前高田に戻り、市内の避難所でボランティアを行った。そのとき、都市部から来たボランティアの人が抱く「何かしてあげたい」という善意の気持ちと、地元の人たちが求める支援との間にズレを感じた。そこで自分がその調整役を果たそうと帰郷を決断。自分にしか果たせないことを行って地元に貢献するとことに迷いはなかった。

地元に帰った岡本さんは、東京の仲間とSAVE TAKATAというNPO法人を設立し活動を開始した。支援物資や人材が一部の避難所に集中しやすい状況の中、支援が足りない避難所にそれらを振り分けた。そして住民が仮設住宅に移ってからは地域での食事会を開くなど、コミュニティ形成の手伝いをしてきた。

また以前から陸前高田市は若者が働ける場所が少なく、高齢化や過疎化の問題を抱えてきた。「これらの問題を解決して、震災前以上にしてこそ復興である」という信念を岡本さんは持つ。先を見据え、魅力的なまちづくりを進めることで若い世代を増やしたいと語る。

災害に対する現地でしか感じられないものを増やし、何度も陸前高田に来てもらうことも目指して、桜ラインのプロジェクトは今後も続く。しかし、賛同者からの寄付金が今後も集まるかは課題だ。植樹活動に加え、管理などの費用もかかるため、継続的な支援を必要としている。そのため、広報活動にも力を入れており、全国各地でのドキュメンタリー映画の上映や、東急百貨店と協力しブックマークやポストカードの販売も行っている。

津波の到達地点に桜並木を

震災が起きたという事実は決してなくならない。だがいつか桜並木を見て少しでも人々の笑顔が増えるように、悲しみだけではなく希望のある街へ、岡本さんの取り組みは続く。  (長屋文太)