1981年慶應義塾大学経済学部卒業。在学中の1980年にバンド「カシオペア」でプロデビュー。以後、ミディードラムトリガーシステムを駆使して独自のドラムソロ・パフォーマンスを編み出し、前人未到のパフォーマンスを繰り広げる。ニューズ・ウィーク誌の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選出されるなど、日本国内のみならず全世界から高い評価を受けている。

世界的なドラマーとして今も活躍し続ける神保彰氏。ソロ・パフォーマンスという新しいドラムの境地を開拓してきた神保氏は、慶應義塾中等部から10年間を慶應で過ごした塾員である。神保氏の学生時代のお話や、塾生に向けてのメッセージを伺った。

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神保氏が慶應に入学するきっかけは「親の意思の影響が大きい」という受動的なものであった。しかし、兄も慶應に進学していたため、何度か学校を訪れる機会があり、校風を肌で感じたことで「自分もここに入りたい」と思うようになったそうだ。

中等部、塾高と慶應の附属校で過ごしてきた神保氏は、「福澤先生の教えが反映されたブレない校風の中で学べたのは、自分にとっても大きいことだった」と当時を振り返る。ドラムと出会ったのは高校2年次で、後の神保氏の人生に大きく影響する6年間であった。

大学に進学してからは友人の誘いで「ライト・ミュージック・ソサエティー」に入り、音楽活動にいそしんだ。音楽サークルとはいえども「体育会のように練習日も多く、上下関係も厳しかった」と当時を振り返る。しかし、その厳しい環境の中で大きく成長できたと話す。

そのような忙しい日々を送りながらも「勉強は嫌いではなかった」と、所属していた経済学部の授業にはほとんど欠かさず出席していたと言う。音楽活動をする現在、大学で受けた授業の内容が生かされる場面はほとんどない。だが、「授業に出て教授の話を聞き、今回の講義で教授が一番伝えたかったのは何か。それを意識することで、物事のポイントを掴む力を養えた」と大学の授業で学べるのは、講義の内容だけではないということを強調した。

「慶應での時間が自分の核を形成した」

今現在のドラマーの立ち位置には、「毎日楽しくドラムを叩いていたら、いつの間にか今のレベルにいる自分を発見した」と話す神保氏。好きなことに夢中で取り組んでいるうちに壁を越えたという実感もなく、次の段階へと歩みを進めていたそうだ。

しかし、たどり着くまでには長い時間がかかった。「大学の単位は短期間の努力でも結果が返ってくるが、社会に出るとそんな短期間で結果が出ることなんて滅多にない」と言う。大学のようにテキストが与えられず、手探りで進むしかない社会の中で結果を出すためには手に入れた知識のポイントを整理する力はとても大切だったと振り返る。

10年間を過ごしてきた慶應について神保氏は、「自由な校風に惹きつけられて、さまざまな考えを持った学生が集まってきている」と語る。違う考えに触れることは刺激的であり、勉強にもなり「慶應で過ごした時間が今の自分の核となる部分を形成した」とも話す。

最後に塾生に向けて、「4年間はボーッとしているとあっという間に終わってしまう。卒業後の人生を有意義に過ごすためにも、自分が興味をもつことや好きなことに積極的に取り組んでほしい」とメッセージを贈った。

(小林知弘)