誰しも一度は思い描いたことがあるだろう、「将来の夢」。その「将来の夢」の捉え方が、日本と欧米で異なるのをご存知だろうか。

自己紹介時に企業名を言うことが多い日本。名の知れた企業に勤めるには、地方より企業数の多い中心地に出てこなくてはならない。そしてその「中心部」、東京で偉くなり故郷に錦を飾る……。将来の夢を語るとき、日本人はこの中央成功主義に基づいていると文学部非常勤講師、法橋量氏は語る。

一方、欧米の多くの国には自分の夢や仕事に合わせて地方に下るライフスタイルが存在する。日本と異なり、国の中心に夢を抱き、集まる傾向はあまりないそうだ。

近代以前に職業選択の自由がなかったことは、日本も欧米も変わりはない。「夢を描きづらい時代だった」と法橋氏は語る。近代以前は家業を継ぐのが当然だったが、民主主義を経て職業や仕事の選択肢が広がり、夢を描けるようになった。

しかし、現代で世界の若者が描く「将来の夢」には大きく開きが生まれた。前述の地方―中央のとらえ方に教育的観点から見ても違いがある。例えばドイツには、Ausbildung(アウスビルドゥング)という、「職業人になるための専門教育」が存在する。小学校卒業ごろには、職業人になるため実業学校へ通うか、大学進学等のための高等教育の道に進むかを決めてしまう。また、新卒一斉採用という制度がない。たいていの人が、高校卒業後に大学に進学するか、働きに出るかを決める日本とは教育システムが異なる。法橋氏は、「将来の夢の持ち方は、国ごとの教育システムにも大きく関わっている」と述べた。

また、社会システムを見ても違いを発見できる。日本は企業名や所属団体名を言うことが多い。会社に対する帰属意識が強いのだ。ところが欧米には職種を言う傾向がある。自分のことを化学者だとかエンジニアだとか言うそうだ。これは大学という専門教育を受けたというプライドを持つからこそだろう。「就“社”ではなく就“職”とあるように、欧米では職種に対する意識が強いのでは」と法橋氏。一見細かいことだが、言い方ひとつで感じ方が違ってくることが分かる。

日本の大学生は留学や就職、院への進学など道は多岐にわたる。迷ったり不安になったりもするだろう。だがそんな時、もう一度「将来の夢」とは何なのか見つめ直してみてはどうだろうか。自分が思う以上に、夢は希望と期待に満ち溢れている。
(武智絢子)